パリ・ニューヨーク通信

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各地に住んでいる元CAに、その国の生活や文化を伝えていただくコーナーです。あらたに、ワシントン在住会員に加わっていただきました。2010.02

パリ便りパリ便り   ニューヨーク便りニューヨーク便り    ミラノ便りミラノ便り

ニューヨーク便りアメリカの新学期 ニューヨーク便り使い捨て文化 パリ便り仕事の思い出
ニューヨーク便りビザ更新とニューヨーク 2009春 ニューヨーク便り日本からのお客様 パリ便り2003年の夏が残したものは
パリ便りフランスに生きる日本の女性たち パリ便り音楽で夏の訪れを祝うフランス イタリアのデザイン
ニューヨーク便りガソリン高騰 ニューヨーク便りバレンタイン パリ便りユーロの悲しみ
パリ便りDeep Projects ニューヨーク便りクリスマス パリ便りパリは和ブーム 
パリ便り庭でトリュフ発見 ニューヨーク便りニューヨーク市内へ出る 由美のミラノ通信
ニューヨーク便りクリスマスシーズン パリ便り人が現れるParisの高速道路 パリ便りパリの街角に氾濫する犬のフン
ニューヨーク便り現役CAに会う ニューヨーク便りハリケーン  
パリ便り南西の新天地 ニューヨーク便りFishing at Captree  
ニューヨーク便り卒業シーズン ニューヨーク便りニューヨークへ引越し  
パリ便りフランス版エコロジー パリ便りフランスで交通事故  
     

和美のニューヨーク便り    -アメリカの新学期−

この夏は、すっかりNYに居ついておりました。ゴルフのUSオープンで夏が始まり、今はテニスのUSオープンの真っ最中。私も足を運び、生の迫力を楽しみました。

NY・・・New York

さて、9月はこちらではBack to School新学年のスタートです。


新学期に備え、学校からは、クラス担任の先生から、「Supplies list」が送られてきます。毎年、ノートやファイル、なじみのない名前の文房具(最初はほんとに無知で辞書を片手に買出しに行きました)が、科目ごとにリストアップされてそれを各自用意します。


クレヨンや、色鉛筆、シャープペンなど、日本では使えるまでは捨てずに使うイメージですが、こちらはほとんど使い捨て。毎年ごっそり買い込む感じです。抵抗があるのですが、郷に入れば郷に従ってしまい、出費も結構なものです。

それを買いに行くお店はいくつかあります。中でも大きな文房具店として有名な「STAPLES」というお店があります。ここのCMもおもしろいです。

父親が子供を連れてお店に行くのですが、お父さんだけがニコニコ顔でスキップランラン〜。
子供はすご〜くいや〜〜な顔して店に入っていく、というものです。6月27日〜9月8日までの超長期休みだった我が家も、ほんとにこの状態です。早く始まらないかしら〜。

昨日は学校からいろいろお知らせのレターが来ました。その中に面白いものがありました。

パブリックスクールですので服装が自由なのですが、夏は、女の子は下着同様の服にビーサンで、ほとんど普段着なんです。そこで、学校のDress codeに注意事項が・・・。

「パブリックスクール」 米国・・・公立校 英国・・・私立校

Beachwear is for the beach, not school. Young women should use the “pasta” rule when selecting a top to wear at school - spaghetti and linguini straps are a no-no, but lasagna width straps are a yes-yes!!

息子が言いました。「この冷たくなってきた風〜〜、あ〜9月だ、新学期だな〜」と・・・。詩的な表現に感心したのですが、最後に一言、「あ〜〜〜〜〜やっぱりやだな〜〜〜」だと・・・。びっくりするほど遊んだわが子ならでは感想でした。

皆さん、インフルエンザもはやっているようですのでどうぞお体お気をつけて・・・。   2009.09

 
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和美のニューヨーク便り   -ビザ更新とニューヨーク 2009春−

レンギョや桜の花がほころび始め昨日まで冬の陽気だったのが突如春モードになったNYです。こちらでは丁度、RECESS(学校休み)が終わったばかりです。この時期が春休みといったところでしょうか。

先日カナダまでビザの更新に行ってきました。更新するには国外で申請する必要があるので、日本へ戻るか、カナダあたりでするのが一般的です。

オタワへ行きましたが、あともう少しでチューリップフェスティバルという時期でした。なぜカナダでチューリップかというと、第2次世界大戦中、オランドがナチスドイツに占領されたとき、オランダの皇室一家を保護したのがカナダであり、一家はオタワに滞在したのでした。そのとき、王女様が懐妊したのですが、オランダには、王室を継ぐものはオランダ生まれでないといけない法律があったそうです。そこで、カナダ側が、出産するオタワの病院の婦人病棟を、オランダ領にするという超法規的措置を取ったそうです。その後、自国へ戻り感謝の意を込め、毎年1万株ものチューリップの球根が送られるようになり、現在のチューリップフェスティバルへ発展したそうです

話が少しそれましたが、駐在員生活が5年目に入り、我が家もそろそろ日本へ帰国?と思っていたのですが、ビザの更新が必要になり、もう少しこちらにいることになりそうです。

ニューヨークでは、主人の仕事先もそうですが、最近は、どこの企業も厳しい状況です。昨日まで普通に仕事していた人が、今日行ってみたら「解雇」という事態が起きています。怖い話ですが、本当です。エグゼクティブだった人でも、それが起こっています。知人のアメリカ人も同じ状況が起こり、再就職はなかなか困難だそうです。

クリスマス用品では定評のあったデパート、よく行ったおもちゃ屋、有名電化製品店もあれよ、あれよと言う間に、「Closing Sale」と書かれた黄色い横断幕を出し、店を閉じるところが多く、不景気は普段の生活にも押し寄せているわけです。

日系企業も縮小しているところが多く、5年前には感じなかった危機を感じます。駐在員たちは、今や日本でポジションがあるのなら早く帰ろう、みたいな話をしているのを聞きます。

マンハッタン名物、ミュージカルもいくつか閉めてしまったり、公共交通機関は軒並み値上げになったり、ニューヨーク郊外は過ごしやすい場所ではありますが、物価は決して安いとは言えません。

そのような折、デルタ航空がニューヨーク−東京便に就航します。
このフライトのために、日本語のできるクルー募集というお知らせがありましたので、元外資系エアラインで乗務していたNYの知人に知らせてあげました。

パソコンで、まずはアンケートに答え、条件に合うと電話がかかり、「機内アナウンスをビジネスクラスの日本人のお客様にもわかるように言ってみて下さい」という電話インタビューになったそうです。ところが、「では、明日アトランタまで来て、6週間トレーニングを受けてください、チケットは用意します」とのこと。つまり6週間は自腹で生活するということ。多少のペイはあるそうですが・・・。家庭もある彼女は、そんなに急には無理と判断し、断ったそうです。仕事を得るとは実に厳しいものです。

日本でも、この4月から入社するフレッシュマンも、内定取り消しがあり得るので心配だということ声をニュースでも聞きました。大好きな仕事を夢に見ても、実情はなかなか厳しく、若い皆さんの熱意が無駄になってしまわないよう、景気回復を願うばかりです。 2009.04

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夕城のパリ便り  - フランスに生きる日本の女性たち -

このサイトを訪れる方たちは きっと世界に目を向けた女性たちでしょう。

そう思いながら、今回は、日本を飛び出して、世界のどこかで暮らす日本の女性たちが、
どんなきっかけで、どんな生活をしているのか、
そんなことにスポットをあててみます。
ここフランスに暮らす女性たちのヒストリーを、プライバシーを侵害しない程度にお話してみようと思います。

Crew時代の先輩でもあるAさんは、語学のブラッシュアップのため、都内の語学学校にフランス語を習いにでかけました。
旦那様になったのは そこで先生をしていたフランス人。現在は、彼の故郷に戻り、旦那様も新しい仕事をしながら、家族4人幸せに暮らしています。
彼女は自分の力で、最近、日本食の出張仕出屋の仕事を始めました。
下ごしらえから始まり、何から何まで自分で用意します。
フランス人にも受け入れられやすいようなメニューを、この地でも手に入る材料を使って、自分なりに工夫して、徐々にお客様を増やしています。
彼女のパワフルさと手際のよさは スチュワーデス時代に培われたものでしょうか。

美大からパリでアートを学ぶことになったHさん。
考古学者の旦那様とパリで知り合い、人類発祥の地、ドルドーニュ地方に落ち着きました。
デッサンの得意な彼女は、旦那様と共同で、子供向けに、わかりやすい人類の歩みについて書いた本を出版したり、学校に出張授業に出向いたりしています。日本のアニメの講義などもしています。

知り合いから、友人のフランス人が文通してくれる日本人を探している。ペンパルになってくれないか頼まれたKさん。
最初はまったく乗り気でなかった彼女も、そこまで言うならと引き受けた。
何年かのち、そのフランス人のペンパルが、今のご主人だそうです。
現在は、キッチンなどもついている一軒家を貸す、フランスでは「ジット」と呼ばれる宿をされているので、ヴァカンスシーズンの夏はそちらで大忙し。
3人の子供がいる彼女は、このフランスでも積極的にPTAに参加して、地元に馴染む努力も忘れません。

お菓子作りの得意なNさんは、
お菓子教室を開き、デザートの国フランスの人たちをも生徒にしています。
緑茶のエクレアなど、日本のエッセンスなども加えながら、季節の果物をふんだんに活かした魔法のお菓子を作っています。
あの美しく甘さも控えめで上品なお菓子を、
毎日のようにいただけるご主人は、皆から羨望の的。
お菓子作りのブログでもナンバーワンを誇っています。

そして私。
空の上ではありませんが、Crew現役時代、航空会社の主催するレセプションの手伝いで出向いていた私は,そこに仕事できていたフランス人の彼と出会い、気がついたらフランスで暮らすことになっていたのです。
彼は音楽家。彼の仕事上、私は、いつもお客様を家にお迎えする環境にいます。
機上と同じこととまでは言いませんが、“おもてなし”をするという意味では、その経験とメンタリティが活きているようです。
彼の曲作りに、実際に参加しているわけではありませんが、スタジオを出たときの快適さを提供していくこと、また笑顔でスタジオに戻っていく皆を見送ることで そのアルバムを一緒に作り上げる連帯感を感じています。
おかげで、料理の腕もあがりました。
フランスの家庭料理だけでなく、日本料理も加えて、献立にバラエティを持たせられるのが私の特権です。
お客様たちは、時には、1週間以上滞在ということもあります。以前は、献立をたてるだけでも、う〜んう〜ん唸っていました。今では、時間をかけなくても、要領よく、それなりの食事も出せるようになりました。
もちろん、来てくださるお客様の好みをそっと記録しておく閻魔帳も、私の大事なtoolです。
時間ができると アトリエに走ります。
土を使って、創作オブジェ作りを楽しんでいます。いつか、小さくてもいい、自分の作品を並べたエクスポジションを行うのが目下の秘めた目標です。

故郷から遠く離れた日本の女性たち。

PS:

日本の秋 いかがお過ごしですか?

こちらの秋は、例年と比べて、収穫物が少ない淋しげな秋です。
セップを採りにでかけても、栗だけ拾って帰ってくる。
まぁ、まるまるした栗は 子供達と拾っているだけでも幸せな気持ちになるんですが・・・。
現役時代と違って、季節の恵みで、その年、その年がどんな年だったか思い出すようになりました。

2008.10

 
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和美のニューヨーク便り  - ガソリン高騰 -

のんびりした快適なここの暮らしを圧迫するGasの高騰・・・

今日も、先ほどスタンドへ寄りましたが、一番廉価なレギュラーで1ガロン、4.29ドルでした。
こちらはミニバンが圧倒的に多く、日本車のトヨタ、ホンダは人気です。
うちはアメ車(つまり米国産)ですが、
けっこう故障が起こり、見かけ倒しです。この手の車は燃費が悪いんですよね。

この事態を退避するべく方法としては、

*車から荷物はおろす。
当たり前ですが、軽くする方が燃費は良いに決まっています。
つい、物置代わりに、ゴルフバッグやアイスボックス、BBQセットまで入れている人もいます。
いつでも遊びに行ける状態ですが、最近はいちいち降ろします。

*カープールをする。
同じ目的地に行くのならみんなで同乗します。
高速道路にはHOV Lane(high-occupancy vehicle lane)があり
複数人数乗車している車専用の車線があります。
ただし、車線変更できる場所、出る場所が決まっており、
勝手に好きなところで出入りすると違反になります。

*車を諦める
これはマンハッタンに住んでいる人の場合です。駐車料金が高いので、タクシーで移動の方が
安上がりのようです。私たちのように、住んでいる場所がちょっと田舎ですと、
車なしでは生きられません。
日本のように公共交通機関が充実してないので、車の使用頻度はとても高いです。
なるべく効率よく外出するように心がけています。

また、最近のニュースで、原油価格高騰で通学バスに支障ということがありました。
アメリカではハイスクール生まで黄色いスクールバスの利用ができます。無料です。

話しが少し脱線しますが、この仕組みもすごくて、何台ものバスが家の周りを走りめぐり、
朝は、大きな高校生からバスの迎えが始まり、それが済むと、次は小学生の迎えとなります。
日中は決まった場所でバスは待機となり、又下校時間が近づくと黄色いバスがたくさん動き出します。

スクールバスが、子供の乗り降りで止まっているときは、運転席の横から“STOP”サインが出ます。
それが出ている時は、後ろの車は勿論、対向車線の車も、必ず停止しなければなりません。
それをやぶると重大な違反になります。

話は戻りますが、ミネソタ州のある学校区では、9月から暖房費、スクールバスのガソリン代を節約するため、
週休2日制から3日制に移行すると報じていました。
登校する4日間は、従来より、少し授業を延長する予定だそうです。

さらにこのような話も・・・。
ガソリンの先物買いというネットサイトがあります。
その日のガソリン価格で契約し、いつもそのレートでガソリンが入れられるというものです。
損をすることもあるでしょうが、今ならば良い方法かもしれません。

飛行機の燃料費も、ばか高い昨今、予約変更もままなりません。
この夏、日本へ一時帰国するため、チケットを随分前に手配しました。
搭乗日を変えようと思い問い合わせたところ、燃料費の差額が発生することがわかり
家族分となると、「え〜、そんなに〜」という額になるので変更は諦めました。
便利な乗り物もこれには弱いですね。なんとか元のようになるとよいのですがね。

2008.07

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夕城のパリ便り   - Deep Projects -

Bonjour! 塾長

こちらも本格的な夏になりました。
いかがお過ごしですか?
スチュワーデス塾からのメールが届かないなと心配していたら
迷惑メールBoxの方へ送られていました。
私の使っているフランスのプロバイダーが
漢字入りのメールは削除するような機能を強化させたらしいのです。
中国から山のようにスパムメールが届きます。
こちらの人にしてみれば、中国語だか日本語だか分りませんからね。
それなので、フランスに住むアジア系の人は、メールが届かなかったりして困っていました。
私のPCはもう大丈夫です。解決しました。

今回は、私事で恐縮ですが、
音楽家の主人エリック・ムーケ(Eric Mouquet)について紹介させていただきます。
主人の新しいアルバムが6月に発売になりました。
あわせてサイトも立ち上げました。試聴もできますのでアクセスしてみてください。
4ヶ国語で対応しています。日本語ページは私が担当しています。

今回は、「Deep Projects」の第一弾として、“Deep Brasil”ブラジルへの旅アルバムです。
同時に、アマゾン救済についても歌っています。
サイトの中の挨拶文でも触れていますが
その曲の中で、私たちの息子と娘が救済を呼びかけています。

四川省の大地震についても書かれています。
中国の歌手が、我が家のスタジオに来た直後に、この大地震が起こりました。
中国ワーナーミュジックから、ここで作った曲を大地震の救済のための歌
として使いたいというオファーがありました。
中国語の歌詞もできあがっていないのに 中国では上位にランクしはじめたそうです。

Eric Mouquetサイト 「Deep Projects」   

2008.07

*Mouquet氏の音楽は”Deep Forest”の名で有名 (塾長)

 

 
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夕城のパリ便り   - 庭でトリュフ発見 -

フランス南西部のドルドーニュ県に越してきて 5ヶ月。
この5ヶ月の間、自宅の敷地内だけでも、いろんな発見がありました。
その中でも一番のサプライズといえば、『庭でトリュフを発見した』ことです。

家のまわりでは、夏秋になると 様々な種類のきのこ、ジロールやセップなども採れて、自然を味わっています。自然とのふれあいに感動する毎日です。先日、その感動を超えることがありました。敷地内でトリュフを発見したのです。このときは、感動を超えて、洗礼を受けたような厳かな気分になってしまいました。

今回はこんな気持ちとともに 「キャビア」「フォアグラ」と並んで世界三大珍味のひとつ、“台所のダイアモンド”という名も持つ、「トリュフ」について書いてみます。これから国際社会で活躍しようとしている皆さんには、ぜひ、知っておいて欲しいたべものなのです。

日本名は“西洋松露”。(Wikipediaで”セイヨウショウロ”で検索すると写真が出てきます)

朝、ラジオを何気に聴いていると、50代であろうムッシューの声が、何やら興奮気味に、
「以前は、フランスで年間200トンの生産量だったトリュフが、現在では12トンまで減少した」
と語っていた。
どうやら ここにも地球温暖化の影響がきている模様。
もちろん価格は急騰し、1200ユーロ/キロがついているそうだ。(約19万円)
トリュフは フランス、イタリア、スペインで生産されている。特に、私の住むフランスペリゴー産の黒トリュフとイタリアのピエモンテ産の白トリュフが珍重されている。
最近、オーストラリアや中国でも、イボセイヨウショウロが廉価な代用品として輸出されているらしい。
日本のサイトをみても、50グラムで、フランス産の本物は4500円、中国産の代用品は550円と、中国産は9分の1の値段になっていた。

さて、トリュフはどういう環境のもと、育つのか。
まず、太陽が降り注ぎ、乾燥していて、水があり、土は石灰質。
樫の木の根っこから半径150cmの範囲に 5〜40cmの深さで自生している。
人工的に栽培するのは困難な故、トリュフに適している環境作りをしていく。
樫の木を植えても、実際4、5年は待たなければならないし、必ず自生してくれるとも限らない。
こんな状況だからこそ、それ自体に価値がある。それは確かだ。
インターネットで「トリュフの作り方」とでてきたので ドキッとしながら開いてみた。トリュフはトリュフでもチョコレートのトリュフだった。なんだかほっとして 笑みがこぼれた。

我が家で採れた初トリュフは14個。
直径6cmはあったであろう15個目は 殻だけ残してナメクジが中を見事に食していた。ナメクジに先を越されるなんて なんだか納得いかない。

トリュフを発見するのには ハエ、ブタ、イヌなどの力を借りなければならない。
ここ最近はトリュフを食べてしまわないイヌの方が好まれるようだ。
イヌには訓練が必要。
しかし、メスブタには全く訓練が必要ないのだ、という。
トリュフが放つ香が、オスブタの性フェロモンと不気味なほど類似しているからだそうです。
なるほど。

工業化や戦争の影響により、19世紀に植えられたトリュフィエール(トリュフの採れる土地のこと)は ほぼ絶滅してしまった。
そんな歴史を想いながら、我が家のトリュフィエールを世話していくとともに、新しく樫の木も植えよう、と決心した。もちろん、初めは、我が家の食卓を飾るためだけど 将来は将来で様子をみよう、と思う。

トスカーナ地方で1.5キロの巨大白トリュフが発見され、オークションにかけられた。
落札価格は22万ユーロ。
どんぐりの木の側で 1時間以上要して採取したそうだ。

日本でもトリュフが発見された、というニュースを小耳にはさんだが、散歩の途中にどんぐりの木をみつけたら 地上付近に飛ぶハエの動向を追ってみてもいいし、どんぐりの木の下で何気に人差し指で土と戯れるのも楽しい午後の時間の過ごし方の提案かもしれない、ですねぇ。(笑)
黒いダイアモンドを想いながら。

フランス語ではMerry ChristmasをJoyeux Noel(ジョワイユー ノエル)といいます。

それでは皆さん、よい”Joyeuw Noel”を!

2007.12

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和美のニューヨーク便り   -クリスマスシーズン -

とうとう初雪が降りました。
この秋は、紅葉がとっても美しかったのですが、今は枯れ木状態です。
今の時期は、雪が降る前に落ち葉を片付けるのがどの家も大変で
ブローワーという送風機で、葉を一ヶ所にまとめきれいにしていきます。
とにかく木々が多く、その量は半端じゃないんですよ。

そしてThanksgiving Dayにターキーを食してから12月に向け
ホリデーシーズンということになります。

先日、ブラックフライデー(Black Friday)なるもの(毎年Thanksgiving Dayの翌日の金曜日)へ
いきました。
この日はいろいろなお店が大セール、、、
夜中から明け方まで、人が並んでお目当ての目玉商品を買ったりしています。
すごいぞと噂に聞いていました。
そこで今回、我が家も、ちょっと怖いもの見たさでつい行ってしまいました。
なんと!レジに並んだ時間3時間10分、、、、ディズニーランドでもこんなに並んだことはありません。
いくら破格とはいえ、異常でした。本当に疲れました。

12月となり、うちもクリスマスツリーをドンと飾りました。
先日アメリカ人の方がうちに訪ねてきたときのこと。
「Christianなの?」と聞かれ
とっさに「Buddhismよ・・・」と答えました。

要するにクリスチャンのお宅はツリーを飾ります。
その方はJewishの方でした。ユダヤ教のことです。
ユダヤ教の場合、ハヌカ(Hanukkah)といい8日間かけてお祝いするそうです。
子供はその間、毎日プレゼントをもらえるんですよ。
独特の燭台、ドレイドルという子供用の独楽があったり
サンタクロースやツリーは勿論なしです。
カラーもグリーンや赤ではなくブルー系です。
挨拶の仕方もHappy Hanukkah!ということになります。

なので、このシーズンは、学校の先生や親しい方へのギフトシーズンでもあるのですが、
相手の宗教により、「メリークリスマス」と言えない場合もあるので
カードに書く言葉も選ばなければなりません。

このシーズンのクリスマスデコレーションは大好きですが、
やはり、本場アメリカでは、クリスマスは、宗教に基づいたものであることをつくづく感じました。
ですが、、、、やっぱりクリスマスシーズンはわくわくしますね。

皆様も楽しいホリデーシーズンをお過ごしください。

2007.12


 
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和美のニューヨーク便り  -現役CAに会う -

先日すてきな女性とお会いしました
フライトでNYにいらしたクルーの方です
塾長からの紹介でしたので、この塾の卒業生の方というべきでしょうか
 
皆さんは初めてお会いする方と、どうお話しますか?
お見合いではないので「ご趣味は?」でもないですよね

私も、初対面の彼女とどうしようかしら、と思っていました
ところが、お会いした瞬間にその不安が消えてしまったのです
彼女の素直な性格と上品さ、謙虚さがグッと人の心を捉えるのです
勿論、それは人柄なのですが、これはクルーのすごいところでもあります
日本の航空会社は、そういう人材を見つけて育てることのできる企業だと思います

先日米国航空会社便を利用しました
無駄をすべて省き、航空券を安値で確保でき、経済的
乗る側も多くを期待せず
サービスするキャビンアテンダントも最低限の事だけをします
ロボットが缶ジュースを配る感じです
ですが目的地へ確実に到着することでこのエアラインの役割は果たされています
要するに公共の交通手段の一つであるということなのです
これはこれでよいのでしょうね・・・

そこで改めて感じたのです
日本のエアラインの誇れることは
「おもてなしの心」ということです
これは日本という国の大きな特色でもあります
飛行機という乗り物は、時代の移り変わりで、特別のものではなくなりましたが
どこかに、その心をもち続けて欲しいと思うのは時代錯誤でしょうか
おそらくそれを期待するお客様は必ずいらっしゃるはずです

お会いしたその彼女はきっと機内で輝いていると思います
そういう方に出会えることも日本のエアラインの魅力の1つです

この塾はフライトアテンダントを希望されている方々も多く読まれていることでしょう
インターナショナルなお仕事であるからこそ
その日本のよさを世界にアピールして欲しいな、、、と思います

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夕城のパリ便り   -南西の新天地 -

フランスの北の地パリから太陽に愛される地 
ここドルドーニュ地方に2ヶ月前に引っ越してきた南西部に位置するボルドーは、ワインの産地として、皆さんも知るところだと思うけどここドルドーニュは、フォアグラやトリュフの産地、まさしく食の地そして、ラスコーの壁画などのある人類発祥の地なのにヨーロッパ以外の人には馴染みが少ない隣国のイギリス、オランダ、ドイツからはヴァカンスにくる人々が絶えないマルシェにいても、いろんな国の言葉が飛び交う北にいた頃は、その辺で日本人といえば、yukiしかいない、という環境に住んでいた北部アクセントのフランス語の中に、どっぷりつかっていた私には新鮮で、開放感が違う。

ドルドーニュ県(Dordogne)

地図でいうと、パリから海岸線を南にずっと下がってきたところにワインで有名なボルドー地方(ジロンド県)があります。その右隣の県です。

私たちが越してきたこのドルドーニュの村、St、Amand de Bervesは
住民100人というとっても小さな村
自分達で一目ぼれして買った家と土地とはいえ
どんどん日本の皆から遠ざかっていくなぁ、と感じていた頃
JAL時代の友人とコンタクトをとった
まもなくドルドーニュに越す、と告げると、彼女の友人も住んでいるという
そう聞きながらも、ドルドーニュは大きい
なだらかな丘が続く
くねくね道が続く
2時間も、3時間も走らなければ、会いにいけない距離かも
と思っていると、その彼女からmailが届いた
なんと、彼女の住んでいる町は、私の住んでいるところから車で10分

そして又、彼女の友人が、ここから30分くらいのところに住んでいる
というので紹介してもらった
お会いしてみたら、なんと元JALの先輩
なんだかJALのネットワークに、日本からこんなに離れた自然の中で 
日本環境を与えてもらったようだ

結婚してからというもの、フランス人ばかりの環境で暮らしていた私には 
タナからぼた餅のように舞い降りてきたなつかしい環境だった
ボルドーにあるアジア系食品を購入できる店を紹介してもらったり 
レシピーを交換したり、お茶会をしたり
何よりも日本語が喋れる嬉しさは、私というより本能が喜んでいる感じだ

ここに越してきたもうひとつの大きな理由
“フランスで一番空が暗くなる”
天文台を構え、星や銀河をハントする私の旦那様にとって
この地はたどり着くべくしてたどり着いたといえるのかもしれない
宝石箱をひっくり返したような星空
天の川が白いインクをつけて一筆書きしたようにはっきり見える
地球が、この銀河系の果てに位置することを、実感する瞬間だ
ここでは 流れ星を見逃す人は少ないだろう

緑が濃い国道を走り抜けていると
「緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ・・・」
若い皆さんには、ピンとこない歌かもしれないが 
山口百恵のこんな歌がふと頭に浮かんだりする

途中、リスが国道を横切っていった
ブレーキのペダルをゆっくりと踏む
小さな体で、命がけの横断だったに違いない

車を飛ばしてたどり着いた先は、オランダ、日本、フランス人マダムの集うお茶会だった
デザートビュッフェとでもいえるほどのお菓子がテーブルを飾る
さんさんと降り注ぐ太陽を手で遮りながら
マダムの高台の家から眺められる美しい風景をじっくり味わった

ここに住むもうひとつのお気に入りは 毎日どこかの町で行われるマルシェ
帰り際に、カフェでコーヒーを飲み、朱色のグラジオラス、フランスパン(バゲット)を買って抱えて歩けば
その空気にすっかり溶け込んだ気分になる

こうして、私の新居地、ドルドーニュでの生活が始まった
Parisには、用事があるときに出向けばいい
ここからは、南仏も、ピレネーも、アトランティックの海も、ビアリッツも、スペインも、イタリアも
思い立てば車ですぐ行けるのだ
フランスの北半分を知った今、これから南を味わっていくのだ
ワクワクしないわけがない。

 
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和美のニューヨーク便り  -卒業シーズン-

6月は、アメリカの卒業シーズン
我が家の子供たちと卒業式に行ってきました。
日本とは違い、カジュアルで明るいものでした。

式の流れというと、

はじめに“Pledge of Allegiance”(右手を左胸にあて、国家への忠誠を唱える)から始まります。この誓いを子供達は、学校で、毎朝みんなで唱えます。うちの子供も、最初に、この英語を覚えたくらいです。

式の参列者も全員唱えますが、これは日本人の私達にとって複雑な思いのする瞬間です。なんといわれても日本人なので、この国に忠誠を誓うというのも、なんかおかしい気がして・・・。でも、まったくしないのも、その場の雰囲気で申し訳ないし、という感じです。

さらに国歌斉唱
音楽的には、「君が代」より華やかでダイナミックですよね。
「The Star Spangled Banner」星条旗
実は、この国歌は、「戦いの勝利の歌」だそうです。またもや複雑…。

そして、みんなの前で、一人ずつ名前を呼ばれ証書を頂き、校長先生と握手、
とてもスマートな受け取り方です。

この式は青空の下で行われ、子供達の座席の下には、ペットボトルの水が一本ずつ
置かれているのがアメリカっぽかったです。

季節も夏ですし、生徒も先生も父兄もサマードレスの世界で、とても明るいものでした。
涙より笑顔を誘う雰囲気でした。
みんな紺色着ているような日本の卒業式を、
アメリカ人がみたらどう思うんだろう?と思ってしまいました。

修学旅行というのは学校により様々ですが、
ちなみに、うちの子の学校は、マンハッタンへ電車で行くツアーでした。
マディソン・スクエアー・ガーデンの見学、ランチ、ミュージカル鑑賞、
美術館、ディナー、またもや博物館見学、盛りだくさんで最後また電車で帰る、というコース

さらに式当日の夜は謝恩会!!!
めったに行かれない、メンバー制のヨットクラブでのディーナー&ディスコパーティー
小学生もノリノリ…。親は参加しないので子供達の世界です。

卒業式が終わると、夏休みが始まるので、もう先生も子も
「良い夏をね〜〜、またね〜バ〜イ!!」みたいな調子で本当にお気楽です。

そして突入したながーい夏休み
流行のお泊りキャンプンも、お値段がピンきりで、数千ドルかかるものもざら、
おどろいちゃう。翌年夏のキャンプの予約は9月にしておくそうです。
明日の食事の献立さえ決められないのに、来年の事まで考えられない。
今、我が家も、夏休み真っ最中です。早く9月の新学期が来ないかな〜〜

追伸

そうそう、入学式がないのです。いきなり新学期が始まるのです。これまた新鮮?

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夕城のパリ便り  -フランス版エコロジー

今回は、フランスのエコロジーとアメリカの使い捨て文化についてレポートしていただきました。最初はパリの夕城さんからのレポートです。

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年も明けて 1月の半ばだというのに、庭のバラが赤い
今までみたことのない光景
地球の何かが、確実に変化していることに目を背けられない

通いなれたスーパーで、大きな買い物バックが支給されたのは2年程前のことだったろうか
それから 次々に大手のスーパーマーケットからビニール袋が姿を消した
ビニール袋は何かといろいろ使えて重宝していたし
レジに並んではじめて、買い物袋を忘れたことに気付き、ため息を漏らす
最初は慣れない買い物袋に翻弄されたものだ

しかし、半月も使ってみれば、それがあらたな“習慣”になった

半年位前に、なじみのファーマシーで、緑色の手提げ袋ももらった
薬はそうしょっちゅう買いに行くものでもないので
緑の手提げ袋を持っていく習慣がなかなかつかない
たかが小さな薬の箱、店のマダムが紙袋を勧めてくれても
自分のバックにしまい込み、「No、merci」と言うようにしている

子供たちの瞳が輝くクリスマスが来る
TVに流れるまばゆいばかりのイルミネーションに目を奪われながらも
内心、胸が痛み、私の住む田舎町の質素な飾りにホッと安心するものを感じたりしていた

以前、日本で、フランスのエコロジー・持続可能開発大臣セルジュ・ルベルティエ氏が
米国流使い捨てカフェに席巻される日本の現状の説明を聞き
フランスの事情を訊ねられたところ、答えは、
  「プラスティック容器に入った飲物など、我々はコーヒーだと思わない」
というものだった。今でも印象に残っている。いかにもフランス人らしい

100パーセントリサイクルのカートン(ダンボール)も、
建築家とデザイナーの手によっておしゃれに変身して、世界の主要都市に発信されている
日本ではプランタンで購入できる

フランスらしい無意識のエコ活動は、夏でも冷房とは無縁なところもそのひとつかな
と冷房に慣れた日本人の私は、個人的に思う

母親になって “エゴ”から“エコ”へ
ただただ、子供達の未来に、住みやすい青い家、地球があってほしい、と願う

今日、息子を保育園に迎えに行った
後部座席に息子を座らせ、シートベルトを締めながら、16ヶ月の娘が座席の上に食べこぼしたビスケットの欠片が気になったので、払っていると、
  「地球はごみばこじゃないからね」
と4歳の息子が言う

地球の将来は 明るいかもしれないな、と思った

 
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和美のニューヨーク便り  -使い捨て文化-

パーティーが大好きなここアメリカは
紙製品、特にペーパーカップ、皿、ナプキン、ナイフ、フォークと
ありとあらゆる物が使い捨てされています。
Whole sale superのCOSTCOは日本にもありますが、
よく目にするジップロックや紙製品が、恐ろしいほど大量に置かれてあり、
それがバンバン売れる。まとめ買いなので割安ときている。
これでは使わない手はないですよね。
日本人はそれをもったいない、と感じます。
ところが、時間が過ぎていくとそのイージーな感覚が
身についてしまうのが現実。
なので、自宅でパーティーもバーベキューも、
片付けの心配がないから楽で回数も増える。
しっかりアメリカナイズされるのです。

それでも、ジュースやビールの入れ物はcash refund されるので
スーパーにはその分別機が設置されている。
「Can」「Glass」「Plastic」に分かれた分別機に、それぞれ入れれば
容器代金が戻るシステム。そのスーパーの金券で戻る場合も。
ビンや缶に表示されている州名と金額がrefundされる印。

スーパーにも、店名の入ったエコバッグはあるにはあるのですが、
それを持ち歩いている人を見かけない。
「次のお買い物の際にもエコバッグをね!」
なんていう買い物の仕方をしないせいでしょう。
とにかく大きな、大きなカートにどっさり買うので
まずそのような袋は無意味となってしまいます。
考えてみれば冷蔵庫も大きいし一つ一つの商品が又大きい。
もう目が慣れてしまうと、日本の小さな乳酸飲料などは
試飲?という感じ。

レジ係員の袋への入れ方は、日本のそれとは比べ物にならないほど大雑把。
日本のサッカー(Sackerこれは死語?)の技術はすごかったのね。
とにかく、こちらの人はひとつの袋に2品ぐらいしか入れないから
ほんの少しの買い物でも袋だらけ・・・。
日本のサッカーのように、
ひとつの袋にきれいに上手に重いものから入れる、
なーんてことはありえない。

資源の無駄使いはいろいろな場面で感じます。
子供達の学校でもそう。
パーティーなどよくあるのですが
季節にちなんだテーブルクロス(ビニール製)はロール巻で売っている物があり
それをドバっと敷き、ナプキン、紙皿、カテラリーをじゃんじゃん使い、
いつでも気軽にパーティーができるわけ。
最後はすべてをざ〜っと捨てて終了。
メリットも非常にあるけれど、そのごみの量は半端じゃない。
それから、毎日子供達が持っていくスナック(おやつを持っていくんです)や
ランチもみな、小さな紙の茶袋に入れて、終われば捨てちゃう。
ジップロックも、毎日サンドイッチをいれて食べたら捨てちゃう。
お弁当箱を何年も愛用する日本人には馴染みにくいこと。
又、小、中学校で食事代を払ってのランチ容器はすべて使い捨て。
食器を回収して洗う、という作業はない。
子供がランチを食べるカフェテリアには、ドラム缶ほどのゴミ箱がいくつも置いてあり
ランチが終われば、そこに各自捨て、
ランチ終了後は、それを片付ける係りの人がちゃんと出てきて
その辺はよくできている。
私は週に一度、2人の子供が持っていくお弁当を作りお弁当箱に入れ
日本人のよさを忘れないでね、といつも思う。
お箸入れなんてアメリカの人は不思議でしょうね。

土地が広大であるため大きな家に大きな冷蔵庫、
食べる量も多いので人間も大きい。ごみも大きい。
ベビーフードのビンだって大きいのでびっくり。
つまり生まれた時からそれは始まっているのですね。

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和美のニューヨーク便り  -日本からのお客様 -

この夏、日本から息子の友達が遊びに来ました
大変リッチな母子でして超一流フォーシーズンホテルへずーっと滞在していました。
うちの息子曰く、クールなホテルです
私たちも1泊だけしました
昔、フライトでステイした定宿のホテルとは違い、とても静かで美しく、夜中鳴り響く消防車やパトカーのサイレンが聞こえないの
水周りが特にきれい。60秒でたまるバスタブ、そこもTV付き、NYではありえない感じです
そういえば、コロンバスサークルのマンダリンホテルも、とても新しく泊まりたいホテルです
眺望がとてもよいそうです
今ブティックホテルというものがCityでは流行っております
デザイナーの手が入り、おしゃれ
しかし、なんと言っても、こちらは子連れ
やはり、普通のホテルのチョイスで正解
子供のためにウェルカムンシャンペンではなく
日本茶とおかき、Dean&Delucaのお菓子のセットが用意されていました
New Yorkも、ホテル代は高いですが、安全を買っていると思えば子連れも安心
その母子と、一通りの観光名所めぐりをしましたが、降りしきる雨でどこもガラガラ
ものは考えよう、これはよかった
バッテリーパークから自由の女神へ向かうフェリーも、混雑もなく、観光しやすく驚き
美術館も、国連本部も、面白いレストラン(MARS2112)も訪れました
最後に、一番楽しかったところは?と聞いたところ
「コーエーン♪」とかえってきた。
つまり、セントラルパークの無料公園のことで、上半身裸で水遊び
2万年前の、どでかい岩に登ったことが一番楽しかったそうです。そんなもんよね
某エアラインのビジネスクラスを利用し、高級ホテルへ滞在したその彼の日記には
セントラルパークのことと、我が家へ遊びに来て、デュエマスカードで遊んだことが楽しかったと書かれていました
母親をロングアイランドのモールやスーパーへも連れて行きました
マンハセットにある高級ショッピングセンター「アメリカーナー」はとても喜んでもらえた
雰囲気がとてもよくすいていてマンハッタンからも40分くらいのところ
ちょっとブランドが気になる方へはお勧めです

まもなく新学期!back to schoolです
長い夏休みも終了。うれしいです。母親たちは・・・

 
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夕城のパリ便り  - 音楽で夏の訪れを祝うフランス -

6月21日
1年で1番陽の長いこの日に、フランスでは大々的に音楽祭が開かれる
それぞれの地方で、それぞれの街で、それぞれの村で、それぞれの形で・・・

梅雨の日本に負けず、ここフランスでも、今年は、全般的に雨模様となった
しかし、祭が始まる頃には 熱気で雨雲をも吹き飛ばしてしまった

昼間、私達の友人が毎年主催する、教会での音楽祭のための手伝いに出かけた
音楽祭の後、場所を移動して第2の宴も開かれる
その必需品、“サンドウィッチ600個!!”

最後の600個目のサンドウィッチにハムとチーズをはさみ終わると、もう夕方になっていた
ちょっぴり肌寒く、静粛な教会の中で、
何時間もおチビちゃんたちがじっとしていてくれるはずもない
私はそのことを友人に伝えると そこを後にして、
北フランス第一の都市Lille(リール)に向かった

Lilleは大学も多く、若者が集う街
古いレンガ作りの美しい街並みに
はじけそうな若者のエネルギーが絶妙に調和して
そこにいるだけで何かの訪れを感じずにはいられない

居並ぶbarやレストランの前には、それぞれの“音楽”がある
子供達が、映画コーラスの美しいメロディを奏でている
ふと息子の足と視線がとまる
そのとなりでジャズを奏でるバンド

しばらく行くと、大きな野外コンサート場、パワーが炸裂していた
“ロック”だ

行き交う人が、気の向くままに好きなところで足を止めて
しばし聴き入っては、又、次の群集に紛れ込む
こうやって歩く人々の中に、むずかしい顔をしている人なんていない
いつの時も、“音楽”は人を幸せにしてくれる
それは古今東西、今も昔も変わらない
夏の訪れを祝うのに
音楽を全面的にもってくるとは
さすがフランス 脱帽(シャポー!)

それならば、ところ変わればどう変わる?!
日本では、夏至から数えて十一日目の「半夏生」(はんげしょう)の日に
関東では新小麦で焼き餅を作って神様にお供えし
関西ではタコを食べ、高知ではうどんを食べる
どれも豊作を祈るための習慣

中国では、盛大な夏至祭をして、邪気を追い払う
そして、病気にかかったりしないよう願い、みんなでチマキやうどんを食べる

スウェーデンでは、夏至祭を「ミードソッマル:真夏」と呼ぶ
白樺の木で作ったマイストング(夏至柱)を囲んで
フォークダンスを踊り、庭でつんだイチゴや酢漬けのニシンを食べて夏の訪れを祝う
“食”
そうだ、音楽で、心に栄養を与えたら、身体にも活力を・・・

友人たちとレストランへ向かった
シャキっと冷えたサンセールの白で喉を潤しながら 
かなりの時間そこで過ごしていたはずだった
しかし、外へ出てみると、拍子抜けしてしまった
まもなく夜の11時になろうとしている、なのに、昼間みたいに明るいのだ
そこで ふと思い出す

“今日は 1年で1番日の長い日なのだ・・・”

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和美のニューヨーク便り  - バレンタイン -

年が明け、あっという間に2月ですね。
ニューヨーク(NY)の年明けは 7番街(7th Ave.)とブロードウェイ(Broadway)が交差する
タイムズスクエア(Times Square)辺りでのカウントダウンが、
TV放送され、一年が華々しくスタートします。
以前は、治安が悪く、近づきがたいところがありましたが、すっかり変りました。
ここ数年は、トイザラスや、ハーシーストアーまであり、
うちの子供も時々遊びに行きます。

さて、2月は逃げるといいますが・・・、まー毎日が飛ぶように過ぎていくのです。
寒くて外に出るのがままならない冬は、日本の駐在妻たちは、色々なお宅で趣味のArtにいそしんだり、お稽古事で過ごしたりしています。それに、
運動不足も気になるので、ヨガやエクセサイズ室内コートでテニスなどをして過ごしています。
子供たちも、暇そ~な母親を見て、「将来、駐在妻でもいいわ」、、と。

ところでもうすぐバレンタインですね。
チョコレート専門店が、日本にも増えましたが、
この国は、何かといえば、チョコレートをプレゼントする習慣があり、
一年中、チョコレートが出回っている気がします。

今日はちょっと気になるチョコレート屋さんへ行ってきました。
場所はブルックリン(Brooklyn)。
ドラマなどで出て来る「リバーカフェ」というレストランの近くのShopです。
実はその辺り、正直、倉庫のような建物ばかりで、それをおしゃれと言うには
無理があると思うのですが、流行の場所でもあるのです。
イーストリバーをはさんで、向いはマンハッタン、、夜景は素晴らしい!

さて、そのお店、「Jacques Trres Chocolate」は、
時々、ガイドブックにも出てきます。
有名フランス料理「ル・サーク」のパティシエだった方の生チョコレート店です。
おしゃれで、テイストの変わったものも色々並んでおり、
立派なBoxに12個選んで入れて15ドル。見た目もセンスがよくギフトにも最適。
グレープフルーツ味やチャイラテ風味、スパイシーなチョコ、
もちろんオーソドックスなものも含め、面白い取り合わせができます。
バレンタイン用としてハートボックスのトリュフも購入、
誰かにプレゼントする前に、自分が食べたくなっちゃいます。
といってもプレゼントする相手は、子供の担任の先生やお世話になった方。
男女関係なくプレゼントします。
すてきな男性にプレゼントというのもありますが、私は、主人にあげます、、(また太っちゃう!!)

そうそう、そのお店の斜め前に、「Almondine」というベーカリー(Bakery)があり、
ここのサンドイッチもとてもおいしいの。
ケーキも色々あり、日本人の口にも合い、お勧めです。
ケーキは、絶対、日本のほうがおいしいので、アメリカではあきらめていますが、ここのは
本当に美味。スイートは人を幸せにします!Happy Valentine's Day!!      

                         でもね、本当はお酒も好きな和美でした!

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和美のニューヨーク便り  - クリスマス -

今や日本は、本家本元も驚くらい、クリスマスの賑わいを見せるようになりました。
なので、「NYのクリスマス」といってもそれほど感激はないかもしれないですね。

ですが、やはり、マンハッタンのロックフェラーセンターは、
世界的にも有名ではずすことができません。
その世界最大のツリーの下で、両手を広げて浮遊しているような黄金の人物、
彼の名はプロメテウス。ギリシャ神話に登場する神だそうです。
そして、今年から、「TOP OF THE ROCK」が約20年ぶりに再開しました。
世界貿易センターの崩壊後、マンハッタン全体を見渡せる高層ビルは、
エンパイアステートビルだけだったこともあり、
11月1日の初日以来、
新しい展望台は観光客や地元ニューヨーカーで賑わっています。

展望台はセンターの中心にあるGEビルの67階から70階部分。
地上約260mの高さからマンハッタンを360度眺望できるのです。
特に屋上は、金属の塀ではなくガラス張りということもあり、
マンハッタンの中心から街並みを見渡せる壮快感を味わえるのです。
私は、夜に行ったので夜景でした、、、昼間もすてきだと思います。
(昔もそうでしたが高いところが好きです!!だから飛行機が好きでした)
この展望台は毎日朝8時半から深夜12時までオープン。混雑を避けるため、
インターネットで時間ごと区切り入場券(14ドル)を販売しています。
また、最近、マンハッタンの路上駐車(場所に指定あり)が
週末は無料になり、
ますます車の量も多く、観光客もたくさんで
クリスマス間際のマンハッタンは混んでいますよ〜。
そのほか、ラジオシティーのクリスマスショウ、これも長蛇の列、
リンカーンセンターでのくるみ割り人形のバレエ、
女の子はおしゃれしてママやおばあちゃまと観に行きます。

ちなみに、うちの娘はマンハッタンといえば、紀伊国屋書店!
日本の本がうれしくて、うれしくて、、、日本の倍近い料金で
絶句してしまいます。
NYの冬、、チャンスがあれば是非防寒着を用意して遊びにきてください。

 
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和美のニューヨーク便り  - ニューヨーク市内へ出る -

日増しに寒くなり、あっという間にBBQつまりバーベキューシーズンも走り抜けて
いってしまいました。こちらは気候の移り変わりも派手です。

少し前の土曜日、午前11時、ブロードウェイの真ん中にある“TKTS”というチケット
の安売り屋さんに到着。
大抵、長蛇の列ですが、その日はなんと幸運にも空いていました。
そこで、「シカゴ」のチケットを50%OFFで購入。うれしい。

開演までの時間、ランチをすることに。
NYなのに、なぜか“FAUCHON”へ行くことに。
その店は、マンハッタンのパークアベニューの56丁目に角にあります。
真昼からシャンペンをいただき、フォアグラのオープンサンドやターキーのサンドイッチをつまみ、
ブレンドされたハーブティー、おいしい甘〜いデザートまで続きました。
店内には、ベーカリ、ジャムやお紅茶のショップもあり、
可愛いピンク色のBOXにマカロンなど入れてくれます。
                  NY ・・・ New York
             FAUCHON ・・・ フォーション パリで有名な高級食料品店  

さてさて、楽しいランチを終え、ブロードウェイまで戻ります。
なんだか道がすごく混んでいたので早足でフーフー・・・。

そういえば、その昔、フライトでパリへ行った。
初めてのパリの街並みはとても感慨深かった。
夜のシャンゼリゼをまっすぐ下り、振り返ったときの美しさ、
今でも心に残っています。そのときも“FAUCHON”に立ち寄ったっけ。

フライト以外でも、両親と共にパリに遊びに行き、
FAUCHONに行ったことを思い出しました。
今でこそ本当にポピュラーですが、FAUCHONのアップルティーを、
父がとても気に入って、たくさん買っていたな・・・買い物好きな人です。

話が脱線しましたね。

水曜と土曜日は、マチネ(昼間のショー)があるので、友人と2時からのマチネを鑑賞。
なんとあの、ブルックシールズが主役(Roxie役)で出演中!驚き!!
昔は眉の濃いはっきりした大きそうな人というイメージでしたが、
なんと愛くるしく可愛いこと!!! とても印象に残りました。
舞台は、黒色がメインなので暗い感じですが、
彼女のキャラがよく光り、なかなか面白かったです。

それから夜、、、、チャイナタウン(中国人街)へ、、、、、
地下鉄に乗りました。
電車を降りると、今度は打って変わって、中国ムード。
人も多く、小さなお店が連なっています。
そして、小籠包(しょうろんぽう)で有名なジョーズ・シャンハイへ。
待つ事30分、やっと店内へ入れば人・人・人。
評判どおり、なかなかおいしい、
熱くてやけどしそうだな〜と思った瞬間、もう口の中がヒリヒリ・・・
非常に食べ方の難しいものですね、(^ー^)
他にワンタンもおいしかったですよ。
小籠包のジューシーなおいしさに、たくさんの人がやってくるお店でした。

とても観光チックな一日でした。   2005.10

 
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夕城のパリ便り  - 人が現れるParisの高速道路 -

忘れもしない3年目の結婚記念日の出来事。

今日だけは 子供から離れて主人と2 人で水入らず、リッツホテル (Hotel Ritz)でゆっくり祝おうということで、北フランスの我が家から、高速道路A1ルートを、Parisに向けて、爽快に車を走らせていました。

シャルル・ド・ゴール空港も過ぎ、まもなくParis市内に入るサンドニ周辺。しかし、いつものごとく渋滞。車は、高速道路上で、のろのろ動き出したり、ピタッと全く動かなくなったり。

せっかくの記念日に、イライラしても仕方ないので主人とゆったり世間話。
あ いづちを求め、運転主席に座っている主人の方に顔をむけた瞬間、窓の外に、黒い人影がふっと眼に入った、でも、“なぜ、ここは高速道路よ?”同時に、バ ンバンだったか、ガンガンだったか興奮してよく覚えていないのだが、何かとてもかたい物で、後部座席の窓ガラスを叩き割ろうとしている。20才前 後の男が、確かに私達の車を襲ってきている。よくみると 後方にも もう1人。どうやら 車のトランクを開けようとしたらしい。

結局、2 度、3度叩いても、窓ガラスが割れなかったので、2人は、柵をひょいっとまたぎ、さらに、塀を身軽に乗り越えて視界から消えていってしまった。後ろの車 に乗っている人も、横の車に乗っている人も、皆こちらを見ている。しかし、誰もびくとも動けない。あっという間の出来事だった。妊娠後期だった私は、産気 づいてしまうんじゃないかと思うくらい心臓がドキドキしていた。

この事件を以前から仲良くしているCA時代のR先輩にメールで報告していました。彼女の妹さんも、エアーフランスのスチュワーデスなので、他人事ではないだろうと思ったのです。

先週、そのR先輩がParisに来ることになっていました。到着時間よりもずっとずっと過ぎた夜になってから、R先輩の興奮と緊張が抜けきらない声が、携帯電話から聞こえてきた。

な んと、妹さんが運転し、助手席に乗っていたR先輩とその友人たちも、全く同じ場所、人が現れるはずもない高速道路で襲われたのです。少し開いていた窓ガ ラスは 無残にも割れてしまい、パスポート、財布、IDカード、鍵など全てが入ったBagを持ち去られてしまった。ガラスの破片で、手にも少しけ がをしてしまったそうです。

R先輩は、私からの注意メールを思い出し、運転している妹さんに、私が出会った事件を説明したばかりだったの です。そして 男が 窓ガラスを叩き割るちょっと前に 後ろにいたバスが、クラクションを大きく鳴らして、危険を知らせてくれていたらしいが、対処す る時間などこれっぽっちもなかったといいます。私もそう思います。かわいそうに、到着したばかりの疲れた身体で、警察へ行ったり、盗難届けの電話などに追 われていた二人。

主人は、とても用心深い人なので、私に、駐車するときも、「車の中に一切ものを残すな!」と、口を酸っぱくしていっているのですが、さすがに、高速道路を運転中の車内に、Bagを残置するなとは言わなかったです。

ど うか、シャルル・ト・゙ゴール空港を使われる皆さん、花の都Parisは、もう目の前ですが、ホテルの部屋に入るまで気を抜かないで。いいえ、 “Paris滞在中はずっと抜かないで”とお伝えした方がいいかもしれません。いろんな形の犯罪がParisで氾濫しています。これもそのひとつに過ぎな いのです。2005.10

 
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和美のニューヨーク便り  - ハリケーン -

ここNYも、今年は暑かったのですが、
もっとすごかったのが、旅行で行ったフロリダ州のオーランド(Orlando)。
行き先をアラスカ(Alaska)にするべきでした。
まー暑いのなんのって・・・、40度近い気温と湿気。
ワニもいるわけです。

フ ロリダは、カナダやNY(ニュヨーク)に住んでいる人々が、避寒のために、冬に訪れる場所。またはその逆で、フロリダの人は、夏は他の土地へ避暑に 行くそうです。すでに仕事をリタイヤーした夫婦が、フロリダにも家を持つ、というのも多いそうです。コンドミニアムや一軒家が、勢いよく建設されてお り価格も手ごろです。

しか〜し、せっかくの旅行でしたので、汗をダラダラかきつつ、
水のペットボトルを片手に、旅行雑誌に載っているあらゆる観光名所を制覇してきました。

さて、そのフロリダといえば、今回大変ショッキングなハリケーンのことは、
日本でも、ニュースで放送されていることと思います。

昨年は、フロリダが台風で大変な被害を被ったのですが、
今回はニューオリンズがとんでもないことになっています。
今も、Bush大統領が、
被災地をヘリコプターでまわっている映像がCNNで流れています。
ニューオリンズでは被災者を受け入れるドームが満杯で、
しかも暑く、水が足りず、町では火災が起こり、とても深刻な状況です。

そこは、メキシコ湾の周りですから、原油生産や精製関連施設が起動せず、
オイルの値段が急騰しています。
ガソリンも倍近く上がり、車社会に大きな打撃です。

自然災害の恐ろしさといえば、日本では地震がすぐにあげられますが、
このNYは地震がないので、これは本当に幸せなことです。
(なので家の中に高価な飾り皿、ガラスなどが問題なく飾れるのですね)

今回の旅行中、テーマパークでは地震、竜巻が体験できるアトラクションも試してみましたが、これでは楽しいという気持ちにはなれないですね。不謹慎な気もしてきます。

と ころで、台風は英語でTyphoonですが、国際的には、最大風速が64ノット(Knot)以上の熱帯低気圧がTyphoonと呼ばれます。それ以外で は、Storm(暴風、嵐)もよく耳にします。では、ハリケーン(Hurricane)はというと、主に西インド諸島あたりで発生し、アメリカを襲う暴 風雨、という感じで違いがあるのですね。

アメリカの台風の名称には、アルファベット順で女性名、男性名をつけてあるので、今回のハリケーンは“Katrina”という名称ですから、今年、11番目に発生した台風です。ちなみに、次はL 、、、Leeになるのでしょうが、来ないことを願うばかりです。

最後に被災された方々が、早く安全、安心な生活を取り戻せますようお祈りしたいと思います。 2005.08末

 
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和美のニューヨーク便り  - Fishing at Captree -

暑い毎日をいかがお過ごしでしょうか。
ここNYも、日差しの強さは強烈で、
車の中にいるのに日焼けをしてしまうほどです。

そんな中、先日釣りに行ってきました。
ロングアイランドは海にすぐ出られるところですが
ご紹介するのは「Captree State Park」という場所です。

マンハッタンから東へおよそ47マイル。(1マイルは1609メートル)
通常車で行きますが、マンハッタンからもLIRR(ロングアイランド鉄道)で
Babylon Stationまで行くとParkまでBusサービスがあります(夏季のみ)

色々な舟があるので、丁度良い時間に出発するのを見つけ乗船。
要するに日本で言う「仕立て舟」ですね。
特に予約も要らず手ぶらでOK、時間になると、そのポイントに向け出発です。

このシーズンはFluke(ひらめ)が良く釣れます。
(やった〜!高級魚!?と思いきやここではとても手ごろなお魚なの・・・)
釣竿も餌も全て中にいる若いお兄さん、お姉さんが面倒みてくれるので
心配御無用!

うちの子供達も隣同士で釣糸が度々絡み合い、
その度に「Help! Help!」と叫んでいました。

ただしせっかく釣れても、小さめな魚はすぐ逃がしてやります。
成長したものはOK。
ここで釣れた魚は、乗船中にチップを出してさばいてもらうこともできますし、
家に名人がいればそれにこした事はありません。

今私達の周りでは、やはり日本人!薄造りや刺身にし、ポン酢とかんずり(新潟名
産、唐辛子が原料)をつけて頂くのがはやっております。さいこ〜です。
(魚と共に、Beerでしょう。好きが高じ、手造りしている友人がいて、
これもまたおいしいの)

海も気持ちがよいし、釣りもでき、食べる楽しみもついてくるのでやみつきです。
その近くには有名な海水浴場、Jones Beachという場所があり
夏の週末は、Beach Trafficで悩まされますが(つまり渋滞)、
ドライブにはとても景色が良い所です。

そうそう、先日は、そのBeachで、あの懐かしのEarth wind & fireの
コンサートもありました。(年代が知れてしまう)

また、もっとマンハッタン寄りには、コニーアイランドというところがあり、
July 4th(独立記念日)に、Nathans(ネイサンズ)のホットドック早食い競争もありました。
余談ですが、優勝したのは日本人、小林さんという方で、12分で、49個食べた
そうですね・・・(*_*)

コニーアイランドも、NY水族館が隣接し、ちょっと怪しい遊園地もあるので
なかなか楽しめます。

チャンスがあれば足を伸ばしてみてくださいね。 2005.08

 
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和美のニューヨーク便り  - ニューヨークへ引越し -

ニューヨーク・・・
自由の女神にエンパイヤ、5番街に42nd Street。
乗務で初めて来たときは、何もかもが「本物だ〜」と感激したものでした。
夜のJazzにDiscoまで行き、よくもまあ疲れもせずに動き回ったものでした。

退社してからはや十数年・・・。再びここに来ることに。
それは去年の夏、J航空Shell Flat Seatに乗りやってきましたNY。
しかし、到着してみたら、2人の子供と6つのスーツケースで身動きが取れない状態。
機内持ち込みの荷物もありで、こんなに、荷物まみれになったのは初めて。
先に赴任中の主人が出迎えてくれてホッとしました。

無理やり、すべての荷物を車に押し込みいざ我が家へ。
突き刺すような夏の日差しを受けハイウェイを走る。
「あれ〜女神様いないじゃん・・・」と子供達。
そう、私もそう思った・・・。ママの知っているニューヨーク(NY)はこれではなかった。
なんとのどかな田園風景。
走るほどに緑色が増え、しまいには海に出た。
ここはロングアイランド(Long Island)。
地図で見るとJFK空港から東に突き出た細長〜い小さい島です。
丸山プロも、この地でゴルフしていましたね〜。
そうです、ここに女神様はいらっしゃらないのです。

到着した我が家は海の横。
この辺りは、地震もないので、多くはベースメント(地下室)があるのですが、
うちは海の近くで湿気があるため、それが無い。
家の広さ分、地下があるとすごく有効なのですよ。
我が家の良いところは近年建ったばかりの新しい家。
電気系統の故障もないであろうという予測で決めました。
すでに、100年近くたっている家も結構あり、何度も改装し、上手に暮しているアメリカの家はすごいです。
このあたりの住宅事情は、広さのわりに、正直お値段高め。
有名人の超高級別荘地も点在し、よい場所ではあります。
映画ホームアローンの家が、アメリカらしい家と思い込んでいた息子には悪いけど、
も、もっと遠くへ行かないとその夢は叶わないのです。

家の外でガーガー何かが鳴いてます。
ありゃりゃ・・・、グースたちが家の前を整列してお散歩中。大きくてびっくり。
どうして君達ここにいるの?ここ、うちよ!というくらい間近でみたCanadian Goose
はでっかいのです。

さてさて、これから始まる生活はいったいどうなるのでしょう?
子供達は夏休みで、主人は仕事。当てにしてはいけない。
国際免許しかない私は、この夏を乗り切れるのだろうか、、、疑問。
そうだ、とにかく必要なのはもう一台の車。
主人が仕事で乗っていったら、私達はどうすんの?
買い物だって、学校だって用事はすべて車ですよ。
マンハッタンなら歩くけど、グースが歩くようなこの場所では生活必需品です。

その後、散々見回り、主人のお気に入りの車をGET.することができました。
やはりニューヨーク、免許も取らないといけない。乗務や旅行で来るニューヨークとは大違い。
いろいろ大変です。

他には英語?
昔、CAをやってた時はいったいどうしゃべっていたのでしょうか?
そうそう、変な度胸とわずかなボキャブラリーで乗り切っていたのよね。
これも勉強せねば。でも、もう頭が固い。
そうだ、柔らかい頭の子供達の方が、覚えがいいだろう。頼ろう。

それを言っているそばから、学校の手続き、病院、その他しなければならないことが山のようにあり、電子辞書片手に、母は四苦八苦するのでした。
B型肝炎の予防注射とか、保険のこととか、CAのときは必要なかった・・・。

それにしても、夜8時まで明るいこの辺りは、なんて気持ちがいいのでしょう。
思う存分外でも遊べて・・・。
私の知っていたニューヨーク、つまり、マンハッタンは、実はホントに広いニューヨークのほんの一部に過ぎなかったのです。
しかも、あの街だけが、ニュヨークの浮いた場所だったことに気が付いた。
(そんな事いったら、そこでお仕事している方に失礼ですね、すみません)

こんなに夏がピカピカで、気持ちが良いのだとしたら・・・。そうか、冬は・・・!?

ニューヨークの魅力的なお買い物情報などお知らせしたいところ、まったく話がそれておりますが、追々書かせていただけたらと思います。どうぞよろしく。 2005.06

 
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夕城のパリ便り  - フランスで交通事故 -

先日 “死”がとても近く感じられた体験をしました。

毎週月曜日はいつものようにアートスクールで 陶芸を学ぶ日。
私が住んでいる街から目的地までは 2、30分という距離。
いつもの昼過ぎの時間、いつもの道。
私が住んでいるのは、パリ(Paris)のような都会と違って、
自然がいっぱいにひろがる郊外。
この季節、トラクターが道を走るのもしばしば。
時速20〜30kmでゆったり走っているトラクターがいる。
私は、その2台後ろを走っていた。
しばらく追い越し禁止区間が続いていた。
私の前にいた車が、その区間が終わったところで、トラクターを追い越していった。

次は、私の番。
前から車が来ないか、充分すぎるほど確認した後で、
自分自身にGOサインを出し、ウィンカーを出した。そして、トラクターを横目に見た瞬間、
急に、コントロールが効かなくなったのだ。
前に進みたい、なのに、車は回転木馬のようにくるくる回っている。
車ごと回っている間は、あっという間なのに、思い出すとスローシーンの映画のよう。
白黒ではない、色はついている。
そのまま、側道のくぼみに落ち、エンジンがとまった・・・。

何秒間かの静寂の後に、人々の顔が近寄ってくるのが見えた。
斜めになった身体のまま。それまでは、車を出ようと試みる余裕もなかったけど、
出なくてはいけないようだった。
誰かの助けで、外に出ることができた。男の人だった。
“Vous n‘avez rien?” (どこもけがしてないですか?)
“Non” (いいえ)
やっとの思いで答えて、車から遠のき、その姿を外から見た瞬間、
突然、現実に戻り、恐怖がおそいかかってきて号泣してしまった。
落ち着こうと思えば、落ち着けそうな気もした。
でも、あとから、波のように襲って来る恐怖は、もう止めることができなかった。
そして、救急車がきた。
いろいろなことが、頭の中をよぎったような気がするけれど、
“もし、息子を乗せている時だったら・・・”と考えた途端、涙が止まらなくなった。
それと共に、身体が震え始め、とうとう、身体のあちこちでコントロールが効かなくなり、
痺れてきた。
“救急車で病院に行かないわ”
と救助員に言っていた私も、呼吸が難しくなってきた。
ついに、病院に運ばれた。
酸素マスクをお願いしたが、ショック症状には、酸素吸入は状態を悪化させるらしい。
お預けとなった。

後で判ったのだが、追い越し禁止区間なのに、かなりのスピードで、
4台ごぼう抜きで追い越しをかけてきたトラックに、後ろから突き飛ばされたのだ。

疲れきったその日は、夕方から寝入っていて、翌日、目を覚ました私は、
すっかり加害者になっていた。
私が寝ている間に、トラック運転手が、私の主人に保険請求のためのサインをもらい
にきたのだ。その時の運転手の説明だと、
「私が、彼の行く手を阻んだ」という話になっていた。
それから、1週間、気持ちが憂鬱で不安定だった。
車の運転なんてとんでもなかった。
息子の顔をみて、人生が続いていることに本当に感謝した。

結局、3人の証人を見つけることができた。
彼らが、トラックの運転手の過失だと、証言してくれた頃から、
少しずつ元気を取り戻すことができた。
主人に、「子供じゃないんだから」と背中を押され、
なんとか運転も再開できるようになった。
けがもなく、こうして元気にしていられることだけで、
素晴らしいと言い聞かせているのだが、
やはり、“加害者”という響きはずっしりと重かった。

事故に居合わせた人達は、とてもとても親切で、
それぞれランデブー(約束)があるだろうに、長い時間、現場にいてくれたようだ。
そして 目撃をしてくれた人たちに電話をした時も、
「トラックの運転手が 奥さんのミスだ、と警察に言い放ったりしていたので、
今まで連絡がないのはおかしいなと思っていました。
奥さんが事故に遭ってなかったら、私が事故に巻き込まれていた。
一筆書かせてもらいます」
証人になってくれた人たち全員が、家まで、わざわざ書かれたものを届けてくれた。
彼らの親切に心から感謝している。
それと、救急隊員(普段は消防士)が励ましてくれた笑顔も忘れられない。

証人の人たちの手紙や、正式な現場写真と異議申立書を保険会社に送った。
だけど、事故後、1ヶ月たっても、何の連絡もない。
電話を入れてみると、私達の件を担当しているらしい男性が電話口で、
「ヴァカンスに出かけていて 今日、会社に出てきたんですよ」
「あっ、事故からずいぶん時間たってますね、すぐ確認して、後で連絡入れます」
絶句していた私を横に、イライラした様子もなく、
「ヴァカンスを取る権利はあるよ・・・」とフランス人の主人。
「でも 他の人に託して、すぐ対処できるようにするものじゃない?」と私。
「ここは、フランスだから」
苦笑いしながら主人は私に言う。
まだ こういう部分は、私の中で、フランス化していなかったらしい。
他のことでは、“慣れ”から、だいぶフランス人化してしまっていたのは感じていた。

それは 日本からの友人やお客様を迎えた時に、はっきり実感できる。
皆の話を聞いて、“あっ、そうだった。私もそう思っていた時があった”と、
その度に、自分は、フランス人でもなく、日本人でもなくなってしまった気がして、
居場所がなくなったような、中間に挟まってしまったような感覚になる。

こうして手記を書いている今も、事故に関する保険手続きは、
保険会社から届いていない。
「・・・すぐ確認して、後で連絡いれます」
と聞いてから、1週間は経っているのに・・・。

皆 さんも、フランスで運転なさることがあったら、日本のように、譲り合いの精神や、規則に忠実である私たちとは、違うメンタリティを持った人達が、ハンド ルを握っていることを 忘れないでください。日本的運転の意識から、フランス的意識にスウィッチを入れ替えてくださいね。
2004.11

 
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夕城のパリ便り  - 仕事の思い出 -

16年間という月日に、静かにピリオドを打った。正確には、13年間の飛職 (とびしょく)生活だった。フランスへの留学休職を決めて、仕事を離れる時も、とっても静かだった。その静けさとは対象に、好奇心で満ちた“動の私”の時 は、スチュワーデスという仕事と一緒にあったと思う。スチュワーデスの仕事は、時に、私の好奇心を満たせてくれるものであり、時に 新しいことへの挑 戦をかきたてるものだった。

今では、寄港地に到着して、“ゆっくりできる”なんていうフライトパターンは、なかなかなくなってしまった。けれど、スチュワーデスになりたての頃は、フライト先やそこでの生活を振り返ると、なんて付加価値の高い仕事だろうと思ったものだ・・・。

南 回りという18日間の旅(乗務)に出かけると、バンコクやアテネで長期滞在があり、海のスポーツを楽しんだり、ゆっくり船に乗って、地中海めぐりをし たりした。パリにチャーターフライトをした時は、1週間滞在した。行きも帰りも、同じお客様なので、本当に和気あいあいの機内だったのを覚えている。普 段は 海外旅行などに選ばない地、モスクワ、クゥエート、アンカレッジなどの地を踏めたのも、この仕事ならではの醍醐味だった。

楽しい ことばかりだったが 私も2度泣いた。1度目は、飛び始めて間もない頃だった。まだ、よちよちの私は、その時のインチャージ(各客室責任者)の指示に忠 実に従って仕事していた。しかし、他の先輩から、「全くこんなことをして!」と頭ごなしに叱られた。「で、でもこれはインチャージの指示のも と・・・」、口にはしなかったけれど、もちろん、インチャージの先輩は、「私が指示したのよ」と言ってくれるに違いない・・・。だけど、彼女から出た言 葉は、「そうなのよ、この子、言われたことはしないで、まったく・・・」。私は開いた口が塞がらなかったが、反論の言葉は発さなかった。ただ、仕事が終 わってから、悔しくて会社のトイレで泣いた。そこに、その先輩が入ってきた。「悪かったわね」の一言が聞けるのかと思いきや、「泣いたって同情はひけない わよ」。言葉が出なかった。これが、女の世界、というものか、と始めて学んだ瞬間である。そんな先輩たちも、今は影をひそめているそうだ。

2度目は、自分もインチャージをとるぐらい飛んでからのこと。今度は、同僚の話しではない。女性は女性であるが、年配のお客様との出来事。
 
そ のフライトで、私は、エコノミークラスのインチャージをとっていた。後輩から、困ったお客様がいる、という報告を受けたので・・・出動。その女性は、自 分の座席から、1番後ろの列の席に移り、空いている3席を占領して横になっていた。しかし 食事が終わると、外国人の若者たちが、客室の後方にきて、大き な声で話しをしていた。それに居心地が悪くなった彼女は、“黙らせろ!“と言っているらしい。彼らに、声を下げてもらうようお願いした。だけど、それでも 気分が悪かった女性は、「自分の席に戻る!」と言い出した。彼女の元の席は、他のお客様がもう移られてお休み中だった。なので、他の空席も探してみた。し かも、3席並んで空席になっているところと指示してきた。先ほどまで使っていた最後列の席しか空いていないことを告げると、
  「私もスチュワーデスになるはずだったのよ」
  「普段はCクラスに乗るのよ、そう、今日は、前(Cクラス)は空いていたわね!」

そ して、支離滅裂になり、わがまま度が増してきたので、つい、「でも、こちらのお席は、お客様自身でお選びになっていらっしゃったわけですよね」と、子供を 言い聞かせるように、一言、言ってしまった。“しまった!”と思った。逃げ場がなくなった彼女は 爆発するしかなくなったのだ。
  「チーフパーサーを呼べ!」
  「あんたみたいなスチュワーデスがいるから高飛車だって言われるのよ」

チー フパーサーが対応してくれた。散々、修羅場を演じたあげく、彼女はCクラスの席で、ふかふかの毛布を掛ながら 目いっぱいリクライニングして寝てい た。どうして、お客様から人格否定的なことを言われなきゃいけないんだろうと、とても悲しくなったのを覚えている。後日、その時のチーフパーサーが私宛 に手紙をくれた。その女性客は常習犯だったのだ。他のフライトでも騒ぎ立て、一つ上の客室の座席を要求する常習犯。彼女にあたったのは不運だったとしかい いようがないと・・・。

飛んでいた13年間のうち、2回だけ泣いた、ということは、泣かなければならないことは、ほとんどないに等しいと思いますけどね。

そして、私にとって、次の経験も忘れられない思い出になっている。
機内で上映するビデオの中で “沖縄の休日”という到着地案内というのがあった。その旅先案内人役として出演する話が舞い込んできた。撮影中は、お客様扱いで、とても大事にされていた。それとは反対に 撮影スタッフのクルーは大変だった。

そ れから 何ヶ月か過ぎたある日のこと。所属室長から、ビデオ室の仕事があるので、それをやってみないか?と聞かれた。今度は撮影スタッフの仕事なの だ。いわゆる地上研修と呼ばれるものだ。私には務まりません、とお断りしたにもかかわらず、気がついたら辞令が出ていた。

そして、私の新 米ビデオカメラマン生活の日々が始まった。触ったこともない大きなビデオカメラやそれら機材の取扱い、そして、立てたこともない企画書を、月に2 本のペースで仕上げていく。一人で、カメラと三脚と機材をかついで取材に行ったこともある。撮影用コードを巻いていたら、「巻き方がなっとらん、君 は!これを巻くために空中の仕事から下りてきたんですよ」と、冷ややかに大将に言われた。正直言って、とても辛い研修期間だった。私生活なんてあったもの じゃなかった。企画・撮影・編集の毎日だった。

しかし、そんな経験が、今、役に立っている。といっても、芸術家肌の主人に、ビデオや写真を撮る視点がいいね、センスがある、と言ってもらっているだけだが、私にしてみれば、それは役に立っているのである。

今こうして、3年間の休職期間を終えて、このフランスの土地から退職願を郵送した。こうした流れが、私には、よかったのだと思う。飛び続けていたら、大好きな空の仕事から離れられるなんて、なかなかできなかったかもしれない。

ある意味で、私という女性を育ててくれたスチュワーデスという職業、JALという会社に最後に心からのお礼を言わせていただきます。

              2004.08 今は好奇心に満ちた"静”の中にいる元スチュワーデスより

夕 城さんは、ご主人のフランス音楽家エリック・ムーケ氏(Eric Mouqet)と、パリ郊外に住んでいます。エリックは、日本音楽界との関わりが深く、昨年は、彼の音楽グループ「ディープ・フォーレスト」 (Deep Forest)が日本公演を行っています。また、9月公開の日本映画「草の乱」では音楽を担当しています。サウンドトラック盤も近々販売予定です。 スチュワーデス塾
「草の乱」公式サイト  www.kusanoran.com

 
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夕城のパリ便り  - 2003年の夏が残したものは-

庭の木々も色づきはじめ、肌に触れる空気もすっかり冷たくなり、
加速的に秋になったフランスから Bonjour!

例外的な酷暑を経験した今年の夏を振り返ってみます…。
冷房に慣れている日本人の私にとっては、
燃える火の横で寝ているんじゃないか、というぐらいの息苦しい夜が続きました。
フランス人の家には、冷房なんてものは存在しないんですよ。ほんとに辛かった。
 
皆さんも、フランスで1万5千人もの人が亡くなったニュースは、
耳にしていると思います。
老齢の方々の場合は、脱水症状によるものが原因のほとんど。
厚生省の対応が遅かった、という批判の声や、
ヨーロッパの薬消費国を誇る?医療機関の驕りである、という声。
どちらにしても 喉の渇きに敏感でない老齢の方々にとって、
脱水症状に対するお薬は、なんだろう?って、一人思いめぐらせてみたんです。
家でも、街でも、病院でも、
「お水たくさん飲みましょうね」「お水お持ちしましょうか?」
など、お年寄りへのひと言の気遣いだったのではないかな、
と思えてならないのです。
機械的な態度をちょっと見直すだけで 被害はかなり防げたのではないかな、
と思うのは、私だけではないと思うのであります。

この暑さは、人間だけでなく、植物にも、もちろん多大な影響を残すことに。
私達に、身近な話題を二つ。

後2ヶ月もすれば、クリスマス。
フランス人にとってノエル(クリスマス)は、お正月よりも大切な習慣。
皆それぞれの趣向で、家の中から外まで、飾りたてていくのです。
欠かせないのが、そう、“もみの木”。
このもみの木が、夏の暑さを乗り越えられず、7万本が死んでしまったこと、
南フランスの山火事で、5000ヘクタールを焼ききってしまったことで、
もみの木がすごく不足しているそう…今年のノエルは、もみの木、高騰の兆し。

二つめは、私をはじめ、ワイン好きの方には見逃せない“ぶどう”の出来ばえ。
太陽がサンサンと照りつけた結果、そうです、品質の高いぶどうができた!
前年が、短い夏だっただけに期待もひとしお。
ただ、春に、畑が凍ってしまったことがあり、残念ながら 収穫量は伸びず。
そうなると、2003年ものは出来がよく、収穫量が少ないため、
ワインの値段は、後々、プレミアがつくことになるでしょう…。
おいしいワインが飲みたい方と、今後の貯蓄?を考える方には、
お買い求めをお勧めします。
 
フランスでは、後々、語られるだろうひと夏となりました。
 
そうそう、以前書いた“夕城のパリ便り”で 嘆くユーロ君のお話をしましたが、フランス人の日常会話では、いまだにお金の単位は “フラン(バール)”であることをお伝えしておきます。
私達、日本人は、新しいものを使いこなすのがとっても上手ですが、フランス人は古いものを大切にする分、そういう意味ではちょっと不器用なようですね…。

それでは 又、Au revoir                           2003.10記

 
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由美のミラノ通信  - イタリアのデザイン -

イタリアも、今は復活祭の真っ最中で、
お天気もよくなり、イタリア人もこぞって各地へでかけています。

イタリアの赤やオレンジと言われて真っ先に思い出すのは、
宗教画の鮮やかな色。
イタリア建築に多く使われるテラコッタも綺麗なオレンジ色ですね。
トスカーナ地方のシエナには、その地方独特の見事なピンク色の
大理石が、DUOMOに使われています。

イタリア人の優れた色彩感覚は、脈々と歴史のなかに
息づき、今もそれは衰えることなく人々の感覚に、生活に息づいているように
思います。

美しいVENEZIAの街に象徴されるように、
イタリアは、まさにそのどの都市もが、「保存と再生」
を繰り返している国。
日本の国が、多少見直されてきているとはいえ、まだまだ
まわりの環境や古いものとは無秩序に、街や都市づくりを
している印象をぬぐえないのに比べ、ここでは、実にうまく古いものと
新しいものとが美しく共存しています。

私の住んでいるアパートは、実に100年近く前、リバティ時代の建物です。
ご存知のように、ラリックやパリのメトロの入り口で有名な
アールヌーボーは、デザイン史上、フランスで起こった近代最初の
国際運動ですが、それはたとえばスペインではガウディに見るようなカタロニア
地方で全盛を極め、
ここイタリアでは、南部の田舎よりミラノやトリノなどの都市で展開され、
今でも多くの「ステイレ・リベルテイ」と呼ばれる、アール・ヌーボーの軽快さと
イタリアの伝統的で重厚なバロックとが結びついた優美な建築物を、
街のそこかしこに見ることができます。
日本でもこの様式は、広重などの絵画に見ることができるし、帝国ホテルを
建てたフランク・ロイド・ライトの作品は、この様式に通づるものがあります。

私は「デザインをする」というよりは、「デザインが分かるようになりたい」
と思って、学校に通い始めたのですが、多くの建築家・デザイナーは、
みんなそれぞれ哲学者で、社会やその時代の人々とも深く結びつき、その作品は
「何を美しいと思うか」ということの表れだから、勉強していても面白いです。
建築を少しでも知ると、ヨーロッパの街歩きも、俄然面白くなるなあ、と
最近思います。

まだ私も実物を見ていませんが、新潟の新しいJALホテルの建築(中は違う人です)は、最近の父の作品です。機会があったら、見てください。2003.04
                                 元JALスチュワーデス ミラノ在住 由美

 
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夕城のパリ便り  - ユーロの悲しみ -

こんにちは!
まだまだ寒い日が続いているフランスですが、 お庭には、クロッカス、snowdropの花々が咲き始めました。

ユー ロが施行されてから、はや2ヶ月が経ちました。始めの何日間は、見たこともない真新しいそのイデタチに、お客もお店の人も協力し合いながら、数えあう姿 をよくみかけたものです。当然、レジの前には、長い列。でも、誰も文句を言う人なんかいない、次ぎは我が身。とはいっても、さほどの混乱もなく、ユーロ 君は浸透していったのであります。
 
しかし、すぐ認知されたと思われたユーロ君。2月17日(2002年)をもって、完全にフランが姿を消したにもかかわらず、いまだフランス国民の心の中には、慣れ親しんだフランの影を消す事が出来ないでいるのです。

フ ランス人の会話を聞いていると お金の単位は いまだにフラン。(ちなみに、フランス人の日常会話には、フランという単位を使わず、バールという俗語を 使う事が多い)例えば、先週聞いた会話。「あのマンション、今、幾ら位の値がついてるかな?」「400,000バール位じゃない?」といった具合。

今 日、ブルゴーニュから、オートルートをParisに向かう道すがら、車の中で聞いたラジオで、2度びっくり。ラジオでは、フランス人の給料につい て、太めの声の中年の男の人と思われるアナウンサーが、”フランス国民の半分強の人達が、7,000フランしか月にもらっていない”と紹介していた。日本 円にすると、約13万弱といったところ。その数字に、へーっと感心しているやいなや、 私は、もう一つ大事な事に気がついて、驚かされたのであります。日 常会話ばかりでなく、公のラジオのnewsでも、いまだにフランが使われているのでありました。

私は、ユーロ君の嘆きが聞こえてくるようでした。“何時になったら、僕を心から受け入れてくれるの・・・”

他の事も交えて、ユーロ君の近況報告をしましたが、その時が、何時訪れるのか私自身も興味あるし、フランス人の日常会話に、耳を傾けて、晴れてユーロ君が、受け入れられた事をこの身で感じたら、又、皆さんにお知らせしたいな、と思う今日この頃です。     
                                 元JALスチュワーデス パリ在住 夕城

 
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夕城のパリ便り   - パリは和ブーム -

“こんな当たり前のことで、こんなに喜んでもらえるなんて!”日本人としての誇りをくすぐられる外国人の私・・・。

私は、こちらにきてから、ペンと紙を渡される機会が多くなった。

フ ランス人と語学の話になると、「日本では、カタカナ、ひらがな、漢字という3つのキャラクターを使って表現するのよ」。何気なく言ったこの言葉が、どれだ けのフランス人の友人を魅了したことか・・・。私達にとっては、当たり前のことなのだけれど、彼らにとっては信じがたい話。
  「日本人って複雑にできてるのねー」
そして、尊敬の眼差し。さらに 調子にのって、
  「漢字は、それぞれ“意味”を持ってるの。
    例えば、私の夕城という短い響きで、“夕日のさすお城”という意味なのよ」
お星様のはいった目でみつめられ、もういちころ。

と いうわけで、私は、彼らの名前を何度となく、3つのデッサン(フランス人からするとそういう感覚らしい)で描いてあげた。この話をすると、例外なく、頼 まれる。そして、その紙を家族に見せるんだと言って、大事に持ち返ってくれる。彼らにとって、神秘な形を描く、日本の文字は立派な芸術作品らしい。
  「これは、何か職業にした方がいいわ!」
と 友人は言うけれど・・・?!確かに、“名前を漢字にします”と、道沿いで、占い師さんのようにかまえている中国人をよくみかける。T-シャツなどを用意して、並んでいるフランス人の姿があったりする・・・。
 
和 紙で作られたランプ。足袋の形をした靴、タタミでつくられたランチョンマット。竹の花瓶。漢字のはいったお洋服。ショーウィンドーは“日本”でいっぱ い。パリで、センスのよいインテリア雑誌でもてはやされてるのも、屏風や、鯉が泳ぐ日本のお庭を、西洋に調和させるアイデア。

さらに 「食」。とうがらしに、わさびに、そして、からしのセットを料理好きの友人にプレゼントした。すごい喜びようだった。これから、何かのときのために、 ストックしておくつもり・・・。すしは、もはやブームというよりも、フランス人の生活にすっかり溶け込んでいる。スーパーのお惣菜コーナーで、サラ ダのとなりに、その姿を見つけることができるし、Wineのボトルと共に、時間をかけてぐるぐる廻るお寿司をたん能する、お客様の廻らない回転寿司 BARが大流行り。
 
     - 小さな島から 大陸を超えて 理解される私達の言語 -
 
WAHUMI(和風味のこ と)。皆、ワフミって言うから、一瞬「和文」、こっちを連想。FUTON,ZEN,BONSAI, SUMO、KOIなどは、今では誰でも知ってる。ここまで 私達の文化が浸透し、もてはやされてることに 驚くはず。で、母のフランス語の先生でもある画 家で、まだ20代後半の律子氏が、Parisで、“禅”を題材にした個展を開くことに。11月14日から 来年の1月12日まで3ヶ月間、このギャラ リーには、ビューティサロンなども併設されてるので、禅で心を休めて、サロンで癒されて、って悪くなさそう。日本人の若い女の子が、世界にどう“禅”を 提案するのか、個人的に楽しみ。ご興味のある方は 違った角度のParis stayを!
 

 
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由美のミラノ通信

Buongiorno !!! (ボンジョルノ) ミラノの朝です。

今日もあちらこちらで、朝から陽気な挨拶と、笑顔が飛び交います。今日は、イタリア人の朝、そして、一日の生活に欠かせないBarについて、少しご紹介してみます。

パ リでいうところのCafe、イタリアではBar (バール)といい、ミラノの街だけ見てみても、その数およそ300軒と言われ、私の家のまわりを思い浮かべても、ざっと10軒近くは、かるく思いついて しまう程。イタリア語で朝食のことを、「Colazione」(コラツィオーネ)と言いますが、イタリア人は、まず、家で一杯のカフェを飲み、その後、自 分の家近くか、会社近くのBarでまた、カプチーノと「Cornetto」(コルネット)という甘いパンか、ブリオッシュ、または 「Spremuta D’arancia」(スプレムータ・ダランチア)という絞りたてのオレンジジュースなどを飲んで、朝の食事にします。それぞれ行きつけのBar があり、もう皆、顔なじみ。かく言うにわかミラネーゼの私も、学校近くのひっそりとした小道にあるBarに、毎朝、通い続けています。美術大学も併設し た「ブレラ美術館」、その通りにあるBarの名前は、
  「Bon Bon Cafe」

今日も、きびきびと働くBarista (バリスタ、Barの店員さんのことをこう呼びます)のお兄さんが、私の顔を見るなり、美味しいカプチーノを炒れてくれます。クールなその笑顔、今日 も元気が出ますね!カウンターに立って飲む人あり、ゆっくりとテーブルについて新聞片手の人あり、最初にまずCassa (カッサ)と呼ばれるキャッシャーでお金を払ってから、カウンターで注文するシステムは、ガイドブックでもご存知のことですね。

一般に、イタリア人の夕食は、レストランも、夜、混み始めるのは9時過ぎとおそいのですが、昼食もご多分にもれず、一時すぎから。

簡 単な朝食をとっただけの彼らが、その時刻までもつはずもなく、10時半すぎには、またBarでちょっと昼までのおやつのひと時。そしてまた、帰宅前のひと 時は、簡単なおつまみと一緒に食前酒、「Aperitivo」を楽しみに、ここでもまたBarの登場なのです。イタリア人の毎日の生活に、Barは本当に 欠かせないものなのですね。

パリでもしばしば見かけたアメリカ風のカフェが、ここミラノでは、全くと言っていいほどお目にかかりませ ん。それだけBarの存在が、イタリア人の生活習慣にしっかりと根付いているためかもしれません。そのMenuを見てみても、エスプレッソにカプチー ノ、スプマンテにパニーニにと、きっともう何十年も変わりばえしないものばかりなのでしょう。

イタリア人の毎日の生活を、横目で垣間 見ていると、街の人々が、皆、毎日くり返される日常の、特別でない1つ1つの事柄を、とても愛し、大切にして生活しているのが感じられます。“豊かであ る”ことの本当の意味を考える時、私は,彼らの、決して贅沢とは言えない、けれども、どこか満ち足りているように思える、日常を思い浮かべるのです。

また、イタリア人は、自分の家族や友人とのつながりを、とても大事にします。自分の奥さんや、恋人に対して呼びかける時、イタリア語では、
  男の人に対しては、
   「Amore」(愛 アモーレ)
  女の人に対しては、
   「Tesoro」(宝物 テゾーロ)
というのだそうです。愛は変わってしまうけれど、宝物はいつまでたっても宝物・・・。ちょっといい響きではありませんか?

私のミラノ生活は、まだまだ始まったばかりですが、皆さんに、少しづつでもこのミラノで感じたことを、私なりにお伝えしていければと思っています。最後に、ミラノについて書かれたある本の、巻頭にある詩をここでご紹介したいと思います。

           ミラノ
      石と霧のあいだで、ぼくは
      休日を愉しむ。大聖堂の
       広場に憩う。星の
         かわりに
     夜ごと、ことばに灯がともる。
         人生ほど、
   生きる疲れを癒してくれるものは、ない。
         ウンベルト・サバ
         須賀 敦子訳

日本の航空会社で10年間乗務し、パリにて1年間留学休職した後、 昨年の末に退職し、まもなく一年が経とうとしています。私は、今年の6月から、ここミラノで生活し始めています。

それでは、また                                                              ミラノにて 由美

 
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夕城のパリ便り  - パリの街角に氾濫する犬のフン -

驚いちゃうことに 犬のフンで年間650件の事故が発生していて、転倒して骨折す るケースもあるんですって!他人事じゃないでしょう?そういう私も急いで道を横断して、ホッと息をついた瞬間、いや〜な予感がして、足元みたら大命 中。その後、お邪魔したおうちでは、踏みたてホヤホヤの靴で、おうちの中にはいっていくのは、さすがに悪くって、靴を脱がせてもらいました。犬のフン を踏みつけたら、ラッキーがおこる前触れ!と言ってるフランス人もいるようですが・・・。

清掃費には、年間、日本円で11億7千万円。かなりの金額!犬を飼ってる人は、犬税を払ってるから、始末はしなくてもいいんだ!と豪語する人達も中にはいるんですって・・・。
 
と にかく、一向にフンは街角から減らないから、シンガポールのガムポイ捨てじゃないけど、処理をしない飼い主に1200フラン、約2万円の罰金が科 せられることになって、“フン袋配布機”が各所に設置される他、散歩ラッシュの時間には、視察官が出されて、飼い主のしつけを行うんですって・・・。これぞ、フランス!

 
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