パリ・ニューヨーク通信

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外資航空会社(アジア系)で乗務しているりえさんに、乗務にまつわる話や外国での生活、そして日々のできごとを書き綴っていただきます。

レストランにて思うこと   一時停止
アジアのゴミ事情   紙コップの中がいっぱい
ギニア人と結婚   タクシーについて
大いなる悩み   スチュワーデスさん
過ぎたるは・・・(飲み水の話)   南の海で
異文化いろいろ   救難訓練
白いことはいいことだ?    

☆ レストランにて思うこと ☆

「お愛想ください」「お勘定お願いします」「お会計お願いします」・・・等々、会計の仕方はいろいろありますが、グループで食事をした時に気になるのが、自分は一体いくら払えばよいのかですよね。

ご存知、アジアの一国に住んでいる私は、仲良しの皆さんとお食事をする際には、何かとシェア(料理を分けっこ)をすることが多いです。日本ならば、一人前のピザ、サラダ、パスタというものもありましょうが、さて、一歩日本を出てしまうと、以外に一人前というのがないのです。どうやら海外では、食事は誰かとするもの、という暗黙の了解のうちに、メニューが作られているらしく、1皿の量がとても多い。何も知らずに、例えば、「私はシーザーサラダと、パスタ、デザートにはティラミスにします」「それなら私はニース風サラダに・・・」などと、一人一人日本式に注文してしまうと、ゆうに2人分はあるお皿が、あれよ、あれよという間に、どど〜んとテーブルに並べられ、えらいことになってしまいます。というわけで、私たちが取る手段は「シェア(Share)」です。サラダに、パスタ、1品ずつ注文して、取り皿をもらって食べましょう、という感じになります。取り分けをして、ちょうど日本のレストランで、セットメニューを注文した時ぐらいの量になるのですね。これで人数が増えてくると、「メイン料理をもう一品増やしましょう」とか、「前菜をもう少し頼みましょうか」といった感じで注文していきます。基本はシェアで、結果的に、その方がいろいろなお料理の味を楽しめるというメリットがあります。私が注文したのはコレ!!という考え方ではないので、そうすると、まぁ、会計の時には自然と割り勘という形になります。全部ひっくるめてそこにいる人数で割る・・・と。それが自分の払う金額ですね。

こんな支払い方法に慣れて来た私が、欧米系の友達と出かけると、なんだか勝手が違って戸惑ってしまいます。先ほど、『海外では食事は誰かとするもの』という暗黙の了解のうちにメニューが作られているらしいと書きました。そこには、もう一つ解釈の仕方がありまして、それはこれで(日本人が見てぎょっとするぐらいの量で)一人分?という考え方です。オーストラリア人たちと食事に行った時です。日本人同士だと、皆でワイワイ言いながらあれやこれやメニューを決めて行くのに、彼らは「決めた!」と言って、メニューをパタリと閉じたのです。今回は、どうやら自分が食べたいものを別々注文するらしいのです。

こういう時、気心知れた友達ならば、「あ、それは美味しそうね?。少しいただきま?す」という展開もあります。その時は、彼らと初対面で、様子が分からなかった私は、おとなしく成り行きを見守ることにしました。それでまぁ、お食事は会話をしながら進んでゆくのですが、案の定、「これ、もーらいっ!」といったやりとりは見られず、自分の皿のものは自分で平らげて終わりです。これがお会計の時になると、レシートを見ながら、(テーブル毎にレシートがまわされてきます。つまりは私の注文したラビオリも、友達が注文したフィッシュアンドチップスも、友達の友達が注文したパスタもまとめて一括したレシートが出てくるのです) 「じゃあ、これが私の分ね」と言って、自分が注文した食べものと飲みもの分の金額をきっちりテーブルに置くのです。私はドキドキしながら右にならえで、その場を乗り切りました。

後々、私を連れていってくれた友達に、

 「食事は、いつもああやってシェアをしないで、会計は別々にするの?」

と尋ねると、「そうよ」という返事でした。彼女はもちろん、アジア系の仲間たちと連れ歩くことも多いので、私の疑問をよく理解してくれたらしく、その後、

 「オーストラリアの人って、食事は自分の分は、自分で食べて、自分で払ってというのが

    たり前みたい。今日みたいに、レシートを見ながら自分の分だけ払うのよ。私も、いろ

    な料理をシェアして食べたいって思う時があるけど、オージー(オーストラリア人)式に食事をす

    れば、早く切り上げたい人は自分の分だけ払ってさよならすればいいから、そういう

    時には、お金をいくら置いて行くのか迷わなくてすむし、ある意味合理的よね」

と補足してくれました。・・・確かに。さらに、オージーと結婚したある友達はこんなことも言っていました。

 「お義母さん(彼女は日本人なので、旦那様のお母様、オーストラリア人です)が来た

  に、彼とお夕飯をシェアしようとしたら、止められたのよ。『まあ、そんな行儀の悪いこと

  を教えた覚えはないわ。あなたったら、アジアに住んでいるうちにすっかりマナーを忘れ

  ちゃって・・・』って言われてしまったわ。シェアするのってマナー違反みたいね」

どうやら彼らにとってシェアとは、自分の皿の料理に飽き足らず、他人のモノまで手を伸ばすのは、行儀の悪い行為らしい。さて、彼らが自分の分は自分で注文し、自分の分だけ払うという行為が、マナーに基づくものなのか、徹底的な個人主義に基づいた合理性の産物なのか、私には判断つきにくい。けれども、海外では、一緒に食事をする相手によって、注文方法から会計の仕方まで、柔軟に対応できることが必要かもしれません。

因みに、アメリカで1年間の語学留学をしていたときに聞いたのですが、韓国では、食事の際、年長者が支払いをするのが普通だそうです。年長になったら出費が多くてた〜い変!!と思う一方、そのために、かなりしっかりとした年功序列制ができ上がっているらしいのです。留学中に知り合った韓国人学生たちを見ていると、年長者(兄貴=オッパ)の言うことは絶対で、下級生がパシリ役をしていたのは、未だに忘れられない思い出です。例えば、年長者の想いの丈を、恋いこがれる女の子のところに、下級生が伝えに行く、というような微笑ましい?光景も多々見られました。

韓国について言えば、客人の費用は、迎える側が全てを持つというのも常識のようです。例えば、日本から韓国に行くと、韓国の友達が出迎えてくれ、お金の心配はしなくて済みます。逆もまた然りで、韓国の友達が日本に来ると、向かえた側が、交通費、宿泊費、食費など一切の面倒を見るため、一時的な金欠状態に陥るという興味深い現象が見られます。これは彼、彼女の関係にあっても、同様のようで、私の友達(女性)が、韓国人の彼を日本に招待した時は大変だったそうです。まぁ、私がここに述べたことは聞きかじりですので、本当は違うぞ!と、思う人もいるかもしれませんが、おもしろ文化の一例として書かせていただきました。

そうそう、支払いのことと言えば、もう一つ。日本でも、だいぶ普及して来たようですが、海外では、日本よりもずっとクレジットカードが多用されております。お会計をお願いする時、店員さんに送る合図として、手を挙げて空中で何かを書くしぐさをするというものがあります。クレジットカードのサインをするという意味も含まれているようです。海外だとこれで分かってもらえるのですが、日本に行ってレストランで同じ動作をしたら、店員が、『お客様が書くものを探していらっしゃる』と勘違いして、ペンを持って来たという笑い話があります。私の友達は、日本では両手の人差し指でバッテンを作るのが合図だと言っていましたが、最も普及しているボディーランゲージってなんなんでしょう?そう、私はクレジットカードを使わない、今となっては少数現金派でございます。

お勘定のしぐさについて(塾長) 

お勘定をもらうとき、欧米では、左手を目の高さまで上げて、その手の平に、右手で書き込むしぐさをしたり、単に、片手だけをあげて、ペンを握って書いているようなしぐさをしたりします。欧米や東南アジアのレストランは広いため、店員が遠くにいることが多いためです。

日本では、飲食は、料亭の形で発展してきました。個室での宴席です。必要があれば手をたたいて仲居さんを呼んでいました。そして、「お勘定を・・・」と伝えてきました。また、大衆が通う食べもの屋さんは、狭いところが多く、「お勘定を・・・」と言えば、すぐに聞こえるところに店員がいます。日本では、合図を送るより声をかけてお勘定をもらってきました。強いて、しぐさでお勘定を頼むときは、昔は、片方の手をあげ、その手のひらに、もう一方の人指し指で、そろばんをはじいて計算するしぐさをしていました。現在では、手をあげて店員を呼び、お勘定を持ってくるよう依頼するスタイルが多いのではないでしょうか。たいていの場合は、勘定書はすでにテーブルに置かれていることが多いですが・・・。  

 
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☆ アジアのゴミ事情 ☆

「エゴからエコへ」の、CMが登場してからもう大分経ちますね。あれから何年・・・「コ」の字の上の濁点は取れてきたんでしょうか?スチュワーデス塾サイトにある「パリ・ニューヨークだより」で、スチュワーデスOGの方からのエッセイを見て、私はほ?っと感心してしまったのです。だってほら、パリでもニューヨークでも、なんだか環境保全にとっても感心があるみたい。世界の環境先進国(と言うのでしょうか?)ドイツに追いつけ追い越せ!という感じで、今では、欧米諸国だけではなく、日本も、ゴミにはちょっとうるさい国になってきましたね。

可燃ゴミ、不燃ゴミだけなら、まだ、私の理解の範囲内。しかし、聞くところに寄ると、東京ではゴミの分別はもっと細かく分けるようになってきているようですね。家の中で、分別のためのゴミ箱スペースの割合が徐々に増えているとか。ただでさえ狭いアパートに住むことを余儀なくされているのに、皆さん、がんばっているようですね。

私の実家は田舎であるため、東京ほどにはゴミの分別はやかましくない。しかし、それでも実家に帰ってゴミを捨てようとすると、どこからともなくゴミ監視員(祖母)がスーッと現れて、「りえ、それはプラスチックだからそこに捨てちゃダメ!」「瓶は外!」「ペットボトルは洗って、蓋とは別にして。ボトルは小さく潰して捨てる!」と、いうような厳しい指導をされる。私は空になったペットボトルを眺め、そして、おもむろに蓋を取り、ペットボトルを洗浄し、ご丁寧に外のラベルまではがして、一踏みしてから監視員所定の場所へとゴミを運ぶことになる。そうした一連の動作を、監視員は最初から最後まで、文字通り、『監視』しているのである。里帰りして一息ついたところなのに、心の安らぐ間もないったらありゃしない。

ファーストフード店などでコーヒーを飲んでも、紙コップはこっち、プラスチックの蓋と、スプーンはそっち・・・と、いう具合に分別するので、分別作業に慣れない私は、分別ゴミ箱を目の前にしてオドオドしてしまいます。

そう、私は分別に不慣れなのです。私が住んでいる国では、分別なんて無意味な世界。そりゃあ、私も日本国民の端くれですから、環境問題には感心があります。上述のとおり、日本では至って真面目に分別という作業を分別臭くやっています。この国に住み始めた当初は、私もゴミを捨てる前に一瞬ためらっていた気がします。今、思えば、初々しかった思える記憶させあります。可燃ゴミと不燃ゴミを目の前にして、「これって分けなくてもいいの?」と思った私が、あれこれ尋ねて回ると、むしろ、「なぜ分ける?」といったような答えが返ってきていたのです!この国には、どうやらゴミを分けるという概念すらないらしい。分別という極めて曖昧な一線があるとすれば、それは「ゴミか、そうでないか=要るか要らないか」というラインに過ぎず、要らないという範疇に入ったものは、生ゴミでも乾電池でも、プラスチックでもソファーでも、とにかくゴミというゴミは何でも、コンドミニアムのゴミ回収室にポイっと捨てるだけ。ここで、『私一人でも分別することが大事!』などと思ってみても、最終的に一緒に捨てられてしまうのだから、本当に、そんなことを思うこと自体無駄に他ならないという状況なのです。

ふと道路に目をやれば、昔、日本で走っていた車が、あっちでもこっちでも排気ガスをまき散らし放題で走っている。たった30秒でも車のエアコンを止めると、暑くて我慢できないと騒ぎだす人たちに、「アイドリングストップ」という言葉は通じない。 

揚げ物をしたくて、油凝固剤を探しにスーパーに行っても見つからない。「これこれこういうものが欲しいんです」と、店員に説明しても分かってもらえない。表情が、もう、「この子は何を言っているんでしょう」と言っている。ようやく、私が油を捨てたいらしいことが分かると、その店員(おばちゃん)は、「な?ぁんだ、油の捨て方が分からないのね?おばちゃんが教えてあげるから。ほら、シンクの穴にそっと流して、その後お湯で流して・・・」という調子なのである。揚げ物が大好きな国民なのに・・・どうやらこの国で毎日消費されている油はそのまま下水に垂れ流し。

この国にいると、地球は本当にエゴからエコへと走ることができるのか?と、たまには地球環境を憂えてみるりえでした。

 
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☆ ギニア人と結婚 ☆

アメリカ留学中に知り合い、ギニア(アフリカ)の人と結婚する予定の友人からアフリカ体験手記が送られてきました。世界の国を覗きみるという意味で、こういう体験談はなかなか貴重なものだと思います。読んでみてください。

りえ、元気?私は予告通り、ルームメイトのロロにくっついて彼の故郷にやってきたよ。アフリカでの生活はとってもゆっくり。今日も10時に起きて、水をポンプで(じっくり…)くみ上げるのを待ってから顔を洗って…一日のスタートはこんな感じ。

はじめに、アフリカに来るにはマラリア、黄熱…といった、各国に入国の際に決められた飲み薬及び予防注射をまずしなければならないんだよ。私は3本注射を一ヶ月前に打ち、マラリアと下痢の飲み薬を購入(蛇足になるけれど、中国でやったときは必要なもの全部で5千円もいかなかったのに、アメリカでは556ドルと高く掛かった!!!)。ちなみに私は飲み薬を忘れ、友達ロロのお母さんに改めて買ってもらう羽目になってしまった。この飲み薬は毎日一錠で、こっちに来る数日前から飲む予定のものだったが、それも忘れ、到着3日して発熱したときにようやく(忘れたことに)気づいたのだった…。今思えばマラリアに片足突っ込んでいたのかも(笑)薬を飲んだ後はケロッとしていたけど。アフリカに来るには、心の準備だけじゃなくて、体の準備も必要なのよッ!!!

さて、本題に入りますか。私がこっちで食べているアフリカ料理、食べさせてあげたかったな?。驚くほどグロいし、不潔なものなのよ。私はもう慣れちゃったけどね(笑)。よかったら、African EscargotってGoogleしてみたら早いかも。エスカルゴっていっても、日本にいる時に、りえと行ったフランス料理店のものとだいぶ違って、どちらかというとアワビ系統に入りそうな見た目。で、肝心な味は?と言われると、これがまた生臭く、雑食の私でも、好物とは言えない代物。ただ、出されたら食べる。こっちでは豚も牛も食べるんだけど、どうやら食べる部分が違うらしく、家ではよく足の脛(すね)らしき所を食べている。それが(色もたぶん舌触りも)濾した泥のようなスープの中に入っていて、米やプラタナス(バナナに似ている)やヤム芋、タロ芋と一緒に食べる。野菜はほとんど食べないせいか、お腹だけ膨れていく。といっても、ロロとは外食もするので、外で「サラダ」を食べたりもする。レストランもたかが知れていて、外人向けのレストランに入っても、お金が飛ぶように出て行くだけで、ろくなものでもないんだよ。昨日スペイン大使館の中にあるレストランに行って、「キューバ料理」を注文したところ、出てきたのは純トマトソース(それも明らかに缶から出したもので、味も足されてないし、具も何も入っていない!?!)に、ソーセージ2本、ご飯にプラタノスのフライが数枚。ロロの友達の紹介で来ていたので、その手前、何も言えなかったけれど、ぼるのもいい加減にしてほしいと思った。そしてケーキ。もうこっちで、何個もケーキらしきものは食べるものの、ことごとく期待を裏切られる。ショーウィンドウから覗き込み、選りすぐりに選んだエクレアは、上の「チョコ」はチョコレート色の砂糖の固まり。中はカスタードと思いきや…フェ、フェイントッ?得体の知れない黒い液体が入っていた…。それもこっちから食べるとあっちから液体が出てきて…と、食べるのにかなり苦戦いたしました(笑)それでも、りえと一緒で、出された飯は最後の米の一粒まで食べる性質の私は、片っぱしから出されたものをきれいに平らげていくんです。ここまで来たらこれもまた才能で・・・。ロロも、会う人毎に、“Come de Todoコムデトド(何でも食べます)”と、力なく言う(笑)。

話はだいぶ脱線したけど、私はどうやら屋台で食べる料理や家庭料理のほうが口に合っている。今日はニクル(ロロのいとこでドライバーとして活躍してもらっている)に頼んで屋台のあるところに連れてってもらい、牛肉料理(クペクペ)を購入。BBQした牛肉にマヨネーズを付けて、スパイスとマギーのソースを使う近代的なアフリカの料理…。それが意外にイケルのよ!しかし、カメルーンと比べると、ここは物価が高いらしくて、1,000フランス(2ドル)でカメルーンでは山ほどくれるところ、ギニアでは一握り分しかくれないんですって…。それから、ピザ、スパゲティにアイスクリームやクッキー、菓子パンなど、種類には限られるもののどれも高価。市民は数百フランの菓子パン(といっても、「フランスパン」にバターかチョコレートクリームを塗ったものや「ハム」を数枚はさんだもの)を食べる。こんなもので商売が成り立つからびっくりだよね。ロロから、要らない服があったらもって来るようにと言われてたけど、確かに、私でもフリーマーケットが簡単に開けてしまう…。こっちでそれらしき所に何ヶ所か行ったことがあるけれど、ろくな場所でもない。第一、ゴミは捨てたい放題に捨てられているのだから異臭が漂い、ハエが舞う。そこに、何本か大木を立てて作った粗末な「屋台」が連なり、生ものから電化製品…と並ぶ。と、これがゲットー。

しかし、Down Townに行くと、ちゃんとした店があり、しかも流行の服が立ち並ぶ。悔しいけど、私でも「欲しい」と思う服の2、3点はあったのよ。もっと驚くことに、多くの子が今、アメリカでホットな服や靴をさり気なく着こなしていたの。私はこれまで会った子どもたちの中で、2、3人の子のスタイルが気に入りました。それにしても、こちらの子はブスでもなんでも、巨乳であり、美乳である。ここの人はというと、大半の人は害がない。

アジア人が珍しいのか、たいてい指を指されて「Chino(中国人)」と言われるか、手を振られる。下品な人は、大げさなくらいバカ笑いして、散々笑い話のネタに使う。1回だけ、頭に来たことがあって、抗議したけど、梨のつぶてでした。恥ずかしいやら悔しいやらで、その場を去ったものの、仕方のないことだと思って流すことにした。私が中学のころに、日本人が外人を指差して「ガイジン、ガイジン!」って言っているシーンを思い出しちゃった。彼らは無知なわけだし、実際、ここの中国人口はここのところ伸びているらしく、市民の仕事を奪っている現実があるのよね。だから無条件に不利な判定が下ってしまうってわけ。といっても、これは少数の人たちのことで、先に記したように、ほとんどの人は無害です。手を振る者、握る者、ウィンクをする者、アッカンベーをする者(遊びで)…。100%と言っていいくらい、通りすがりのみんながみんな振り返ってくる。それはいい意味もあるし、悪い意味もある。私はふだんアフリカの服(やしの実の殻と葉をご想像でしょうが、ん?…残念!!マティニティードレスみたいなものです(笑))を着ているから、中国人がアフリカの服を着ているという不釣合いなコンビネーションが注目を引くんだと思う。普段着を着ているときは着ているときで、この中国人(労働階級)のくせして、いい物を着ている…と、思われているんですって。

アジア人から見て、アフリカ人が同じ顔に見えるように、きっとアフリカ人から見るアジア人は同じなのだと思うので、かわいいとかかわいくないとかは判断のしようがないと思うし、だからか私は安心して毎日をスッピンで過ごしています。それでも、どこか格式ばったところやクラブに行くときには、化粧は欠かせないわ。なんだか急に現代にタイムスリップした気分。普段はノーメイクでダボダボの服を着て、ニワトリやパンツ一枚の子供たちをかき分けて歩いているのにね〜。外国から来た人と会う時は、化粧もするし、きれいな服も着る。どちらが好きとか嫌いとか、そんなことは分からないけど、確かにここの生活に順応してきたと思う。アフリカもなかなか面白いところだよ。りえも、一回遊びにくればいいのに。

 
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☆ 大なる悩み ☆

航空業界にいてよかったと思う時の一つが、悩みを分かち合う友を見つけた時。人間、誰でも悩みを打ち明けてみたくなるものよね?そして、それは同情というよりは、共感というカウンセラーを得てこそ、癒される場合がある。そういう種類の悩みが、私の場合はショッピングの時に顔を出す。
  「申し訳ございません。ただいまご用意できますのは赤のみとなっております」
  「当店で扱っている靴のサイズはMサイズのみでございます」
  「こちらの商品はワンサイズですので・・・」
かつてこんな台詞を私は何度聞いたことだろう。
  「お客様でしたらこちらのサイズでも大丈夫かと思いますが・・・」
そう店員に励まされて着てみた服はツンツルテン。切り返しが胸のすぐ下にある、最近流行のワンピースを纏って鏡に映った私の姿はまるでてるてる坊主のよう。

  「ご試着はできましたか?」
と、なんだかウキウキした様子の店員の声に、私は「すみません。はやり少しサイズが小さいようです。入ることは入るんですけれど・・・」と返す。ふた言めは、もはや、私の見栄以外の何物でもない。私としては、『入るんです。入るんですけれど、なんだか少し丈が足りないんです。別にデブだから入らないわけではありませんっ』という気持ちがあるので、たとえ見知らぬ店員さんにでも、そこは誤解して欲しくはないのである。

  「入ってしまえば大丈夫ですよ。ご自分でご覧になるのと、
                        他の人が見るのとでは印象が違うものですから、一度お見せください」
『そうなのかしら?そうかもしれない。もしかしたら最近流行のワンピースと言うものは、私が知らないだけで、このように着こなすものなのかもしれないわ』と思いつつ、カーテンを開けて店員の前に出て行くと・・・、店員は絶句である。私も仕方ないので申し訳なさそうな顔をして、もうこの後はアイコンタクト。

  「お客様、お身丈が高いんですね。やはり別のデザインの方がおよろしいかと思います」
ちらっと店員が目をやった足下に、私が履いている靴はローヒール。そう、私はのっぽさん。この店員は、きっと私が、ヒールを履いてこの身長だと思っていたに違いない。確かに私は大きいらしく、ヒールのある靴など履かずとも、平均身長の女の子よりも頭一つ分くらい目線が上。服は問答無用のLサイズ。靴だって25cmともなれば、立派なLサイズ。

自己弁護をしておくと、私は決してデブと言われる類いの体型をしているわけではない。見た目は日本人の平均的な洋服が入りそうな感じがする。ただちょっと背が高くて、運動したりしていたために、筋肉質だったりするだけなのである。ところが、ひとたび、平均的日本人用の、世の中で最も多く出回っている服、Mサイズに袖を通すと、そこ・ここがサイズオーバーな自分の体を実感することになる。まず、長さが足りない。ジーパンは切らなくていいくらいで済むが、袖の長さが足りない。ボトムも、やっぱり長さが足りない。皆さんが膝下くらいで、お嬢さんスタイルで履くスカートは、私がはけば“じゃりんこりえ”。腕まわりが太いため、パフスリーブを着ることができない。今年の夏、あまりにかわいいパフスリーブのワイシャツを見つけた。試着せずにはいられず、試したら腕が通らなかった。そこで、ワンサイズ大きいものを着てみた。ギリギリ腕が通ったので即買いしてはみたものの、家で着てみたらやっぱり腕まわりがキツい。1ミリの予断も許さないくらいで、よく見ると、なんだかシャツが腕の肉に食い込んでいる感じ。これはいけないと思って、腕のボタンを外側につけ直す内職をして臨時対処をしたものの、数日後、何かの拍子に、盛り上がった筋肉の伸縮に耐えきれず、ボタンが飛んだ。

自分がLサイズとは分かって入るものの、『平均がMサイズ=Lサイズは平均より大きいサイズ』という定義が刷り込まれた世の中で、Lサイズの人間はちょっと生きにくいものがある。しかも、最近のダイエットブームで、日本の女の子たちはますます華奢になっていく。Mサイズもだんだん小さくなってきている感じ。店員さんには、いつでも、「Lサイズはありませんか?」と聞かねばならぬ私のささやかな願いは、『店員の手を煩わせないで洋服探したい』というものである。それに、Lサイズはデカイという烙印を押されたようで、やっぱりちょっと恥ずかしい。「Mサイズが平均。あなたと同じ身長のモデルさんもコレを着ています」と言われれば、何が何でも普通に収まりたいという気持ちが出て、意地だけで洋服を買ってしまったこともある。「そんなの関係ない! 私はLなんだから」と割り切ってしまえば、かなりの問題は解決されるのだけれど・・・。デカイと思われたくないというのは、ある種の女心ではないかしら?プチなんとかが『かわいい』と、もてはやされる今、L(大きい)と言うのはまさに対局にあり、『かわいくない』と思われがち。どんなに大きかろうと、女性としては、やはりかわいさを求めたかったりするものね!

そんな私の悩みを共感できる友が大勢いるのが、航空業界。電車に乗ればのっぽな私も、ひとたび同期に紛れてしまえばまったく目立たない。“自分は背が高い”などと思うことは全くなく、当然、私と同じ悩みを抱える人が何人もいる。まぁ、パフスリーブの件は、個人的な問題かもしれないけれども、欲しい洋服のサイズがなかったり、靴探しが大変だったりするのは共通の悩み。「どうしてこんなにサイズがないのかしらね??世の中みんな小さいわよね?」と、自分が大きいことを棚に上げて思う存分不満を言える。「それはあなたがサイズオーバーなのよ」と、もっともなことを言う輩は少なく、私はとっても救われる。そんな仲間内の本音を聞くと、分かってはいてもやはりLサイズの表示は好きになれないという。彼にLサイズの真実を打ち明けられずに、買ってきた洋服のタグのL字部分を片っ端から取る友人もいる。Lサイズのイメージに悩む私たちが好きなブランドの一つは、サイズ表示の仕方がとてもうまい。その靴メーカーではLサイズは存在しない。Lサイズ=モデルサイズなのである。私はそのブランドの靴がとても好き。Lサイズと思って買うより、モデルサイズと言われればかなり気分が違うもの。店員にサイズを尋ねられても恥ずかしくないし、胸を張ってレジまで行けましょう。表現一つで購買意欲が変わるなんて、表示ってとっても大事なのね?。ところで、私はLサイズの悩みばかり語ってしまいましたが、世の中には、私とは反対に、小さくてお困りの方もいらっしゃる様子。そんな方々の為には、S、SS 以外にどんな表示が用意されているのかと思ったら・・・ありました、ありました。ハニーサイズ。これは本当にかわいらしいですよね。Mサイズ以外のマイノリティーへの配慮に乾杯したくなる表示でした。

 
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☆ 過ぎたるは・・・(飲み水の話) ☆

あぁ、今日も、機内で水を求める声なき声が聞こえる。もちろんそれは、乾ききったお客様から発せられるものである。そういう声は、例えば、機内で飲み物を配っている時に、あちこちから伸びてくる手によって実感できたりもする。機内はとにかく乾燥している。特に最近は、液体類の持ち込み制限が厳しい。荷物検査の時点で、水の補給源を没収されてしまったお客様はたいそうお気の毒。日本の空港ならば、搭乗直前に飲み物を買って、機内に持ち込むことは可能だけれども、海外では、そうはいかない空港もある。そういうわけで、お客様としては、命の水は機内サービスに頼るしかなく、機内での水分欲求というのは、以前よりも増しているのではないかしら?お客様の水分欲求を満たすため、私たちは常日頃、機内を前から後ろへ、後ろから前へと歩き回っている。

ところで、みなさんは、この水というのにも種類があるのをご存知でしたか?たとえば、ほら、今、24Hの座席と26Kの座席のお客様からお声がかかっています。お2人とも水をご所望のご様子。「はいはい、ただいま」。ギャレーに戻ってサービングトレイ(お盆)にグラス2杯のお水を用意してお持ちしました。同じように見えて、このお水、実は違うお水なのですね。

「ウォッター!」と言った24Hのお客様は、訛りと外見から察するに、どうやら彼女は中国人。そこで、私が用意したのは常温の水。26Kにいたビジネスマン風の日本人にはギンギンに冷やしたお水をご用意させていただきました。フフフ、どうやらお2人とも「お水」にご満足していただけたようですね。

CAとして飛び始めてからしばらくは、“お水”と言われようが、“Water”と言われようが、“水は水”と思って、同じものを提供していた。けれど、飛び始めてしばらくして、私の『お水運び』には不都合が生じ始めた。お客様とギャレーの間を、何度も往復しなければならなくなったのである。私が持って行くお水に、お客様はことごとく「違う、違う」とおっしゃるのだ。同じ水でも、どうやらお客様によって求めているものが違うらしい。中国系のお客様が望むのは、たいがいは常温の水。確か、体にいいのは体温と同じくらいの温度の水とは聞いていた。中国人は、健康を気にしているのか、とにかく常温の水を欲しがる傾向にある。氷の入ったお水を持って行くと、”Warm water”と言って突き返してくる。

これに対して、日本人の私は常温の水というものに慣れていない。考えてみれば、日本で手に入れることができる水は、たいてい冷やしてある。コンビニで売っているペットボトルのお水はカンペキに冷やしてあるし、もちろん自動販売機の水も冷えている。サービスエリアでただで飲める水まで冷えているし、レストラン、食堂で出される水も、グラスが汗をかくくらいに冷えている。体にいいか悪いかは別として、私たちは、喉が渇いた時に、冷たい水を一気に流し込んでプハーっとやるのが好きだ。日本人が求めているのは冷えたお水で、うっかり常温水を持って行くと、「冷たくないじゃないか!」とお叱りを受けることになる。やっとそれに気づいた時は、「お水」の注文取り一つとってもなかなか奥が深いなぁ・・・と、感心してしまった。

ところで、中国人の水分補給の仕方は、日本人に比べると、なんだか暴力的に思える。ものすごく水を飲む。サービングトレイの上に、水やジュースを載せて客室内を持ちまわると、それを両手で取っていく。それで一人分なのだ。ドリンクサービスを終えたばかりなのに、コールボタンを押して矢継ぎ早に水を欲しがるのも、ギャレーまで取りに来るのも中国人ならば、水筒に水を入れてきて欲しいと言うのも中国人。中国人クルーに、「中国人は、どうしてこんなに水を飲みたがるのか」と聞いてみたら、「健康にいいから」という。あまりの勢いに、なにか宗教を信仰するかのような、脅迫じみたものを感じてしまう程だ。

『こんなに健康に気を使っているんですもの。中国人って健康のかたまりに違いないわ!』と、思うかもしれないが、それが意外にそうでもない。彼らは砂糖を入れずに、緑茶以外の飲み物を飲めないらしい。私が飛んでいる路線では、コーヒーのブラックや、紅茶のストレートを飲めるのはほとんど日本人のみである。しかも、中国系の人たちは、お砂糖一袋では足りずに追加を求めてくる。『そんな小さなカップに砂糖2袋も!?』と口に出しては言わないけれども、一つだけでは足りないらしく、中国人のおばあさんから、「苦くて飲めないの」と訴えられた時には、思わず笑ってしまった。日本のスターバックスでカフェラテを頼むと、そのままで飲む人が大半だと思う。日本以外のアジアの国でスターバックスに行くと、カフェラテに砂糖を2袋くらいつけて寄越される。レストランでコーヒーを頼んでも、テーブルに砂糖がのっていないところでは、必ず砂糖が2袋おまけについてくる。日本茶にはまさか砂糖は入れまいと思っていたら、日本茶にはハニー(ハチミツ)を入れるのがいい!と、豪語するクルーがいたのもまた事実。

健康に気をつけている一方で、こんなに砂糖を取り過ぎでいいのか!?と、思うけれども、だからこそ、かれらの健康はプラスマイナスゼロで、普通に保たれているのであろうか?「お水もお砂糖もほどほどがいいですよ」というアドバイスをぐっと押さえて、今日も私はフライトに行く!

 
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☆ 異文化いろいろ ☆

「これをどうぞ」
私が差し出したのはウエットティッシュ。
「あら、準備がいいわね!?」
やや、不思議そうな顔をしながらウエットティッシュを受け取り、手を拭く母。
「あ、私も持っているワ!」
と、いとこがバッグの中から取り出したのは、やはりウエットティッシュである。

日本で、久しぶりに仲のいい親戚が集まってドライブに行くことになった。車の中でせんべいを食べ、小腹を満たした母が、はて、困った。手を拭こうと思うが、自分の鞄にはハンカチか普通のティッシュしか見当たらない。彼女が食べたのは揚げせんべい。指についた油を拭き取るためには、乾いた布やちり紙では不十分。と言うわけで、ウエットティッシュ様のご登場と相成った次第であるけれども・・・。

「あなた達、どうしてそんなものを持っていたのかしら?」と、母は首を傾げるのだ。そういえば、日本ではウエットティッシュを持ち歩く習慣はなかった。しかしながら・・・いとこも私も合点がいって、顔を見合わせてニヤリである。私はアジアの国をベースにして働いている。かたや、いとこはつい最近、留学先の中国大連から帰ってきたばかり。二人に共通するのは、アジア圏に住んだ経験があるということで、それらの国に住むということは・・・そう、ウエットティッシュを持ち歩く習慣が身に付くということに他ならない。

納得いかないようすの母を横目に、私たちはウエットティッシュ談義に走る。ここ日本で、ウエットティッシュ携帯派に会えたことがとても嬉しかったのである。
「やはりそちらの国でも必要なの?」
「これがなくては暮らしていけないのよ」

なぜ、これほどまでにウエットティッシュが重宝するのかというと、アジア圏の国の衛生状況と習慣の違いによるのだ。ウエットティッシュ様の活躍の場としては、主に、食事のときとお化粧室があげられる。高級レストランに行けば、おしぼりを提供してもくれましょうが、毎回毎回、高級レストランに出入りするわけにもいかない身分の私たちである。ピンキリでいう、キリのレストランもしょっちゅうお世話になっている。そこにはおしぼりというものはない。それに加えて、なぜか手の汚れる料理が多い。エビやカニの殻を手で剥がせば、その指を拭きたくなる。さらに、目いっぱい盛られたスープを飲もうとすれば、スープは溢れて手が濡れる。出された時からべたべたしている器もあるし、手で割り入れる揚げせんべいのようなものもあり・・・とにかく、ウエットティッシュを使わずして、手を尋常な状態に保って食事を終えることは不可能なのだ。路地にある屋台の揚げ物、串焼きなどを食べようものなら、指先がベトつくことは必至。こんなに頻繁に手が汚れるのに、いちいち水道を探して手を洗っている暇などございません。

ウエットティッシュ携帯派は、もちろん普通のティッシュも持参している。使用先は主にトイレ。全国津々浦々、トイレの個室に一つずつトイレットペーパーが設置されているのは日本だけ。海外では、トイレットペーパーが空になっていることがしばしばある。別に設置するのを忘れているわけではなく、意図的にそうしているのである。どうやら、トイレットロールを持ち帰る輩がいるようだ。そこで、そのようなトイレでは、トイレットペーパーは置かないことに決め込む。もしくは、洗面台近くに、お持ち帰り不可能な大きなトイレットロールをでんと設置してある。トイレに入る前に、使用する分だけ、そこから拝借して個室へ向かうという方式がとられることになる。

大連にいた彼女曰く、中国には、ウォシュレット機能の付いたトイレが少ないため、「普通のティッシュだけではもの足りない!」と豪語する彼女は、トイレでもウエットティッシュを使っていたらしい。私の住んでいる国では、ウォシュレットまではいかないが、トイレの横に小さめのシャワーがついている。初めて見た時は、これが何のために設置されているのか分からなかった。これはウォシュレットの代わりだそうだ。用を足したあとに、これで洗う。現地式トイレにも、洋式トイレにもついている。そして、これはトイレ掃除の際にも大活躍しているご様子。

男性用のトイレには入ったことはないけれど、どうやら男性も、用を足したあとには、『洗う』らしいことが最近判明した。きっかけはやはり機内。「どうしてこんなに水浸しになるの−?」。怒りをあらわにトイレ掃除を終えて出てきた私に、男性クルーがこう言った。
「あぁ、慣れないと、機内のトイレは洗いにくいんだよね」
「・・・洗うの?」
「洗わないの?」
「え、でも、男の人って、振っておしまいなのかと思っていたよ」
「え?、りえ、それは汚い」
彼はブルっと身震いをした。

この国では男女ともに、用を足したら洗うことが習慣なのだ。という事実に気づいた私は、改めて文化の隔たりを深く感じ、そして、機内でウエットティッシュがあれば、トイレが水浸しになる事態も避けられるのに・・・と、思うのでありました。

 
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☆ 白いことはいいことだ?☆

私の祖母の自慢は色が白いことである。実家にいた頃は、例えば、靴下を脱いだ時、入浴前や後に、写真を見ながら・・・ことあるごとにこんな台詞(セリフ)を聞かされたものだ。「りえちゃん、見てごらん。私はお百姓さんをやっていたけれども、色だけは白かったの」。ほうら・・・と、まくり上げた袖の下から現れた祖母の腕は、確かに乳白色で、日に焼けて黄ばんだ私の肌など黒く思えるくらい。彼女の若かりし頃の写真を見る。お世辞にも器量良しとは言えない祖母の顔を見ながら、改めて『色の白いは七難隠す』ということわざを、彼女が心の支えとしてきたことを確認する。このことわざにもあるように、昔から色が白いというのは、どうやら美徳であったようだ。しかも、白いというだけで七難も許されてしまうのだから、その信望度は相当なものだ。まぁ、私など、仮に色が白かったとしても、隠していただきたい難は七つ程度では済まないのだけれど・・・。

それにしても、色が白くていいと思うのは、どうやら日本人だけではないらしい。ある時、日本で定宿になっているホテルで、近くのコンビニに言った時のこと・・・他社の中国人クルー(CA)が、何やら店員と話し合っている。というより、一方的に、店員に何かを伝えようとして、懸命なあまり大声を上げている。なにごとか?やじ馬根性丸出しで、私は商品の棚を物色するふりをして、そろそろと相手方に近づいて行く。店員の男性は、英語が分からず困惑顔である。頭を掻きかき愛想笑いをしてみるが、いっこうに埒(ラチ)があかず、なんだかレジの方も混んできたみたい。これでは私の買い物もままならぬ。助太刀いたすか。

「どうしました?」
「あの?、この人たちが何か探しているみたいなんです。白い何か・・・Whiteって言って

  いるのは   分かるんですけど、何が欲しいか全くわからなくて・・・」

「わかりました?。聞いてみますね。(ちょっとお姉さんたち)何を探しているんですか?」
「Whitening の薬よ。ほら、美白効果のあるやつ。ハイなんとかって言うやつで、ビタミンが

  入っているの」

美白用の錠剤か?。しかも銘柄指定。私はそんなに詳しくないんだけどな。と思いながら、シミ消し効果のある錠剤を思い出しながら、う?ん・・・と、唸った。やっぱり、やぶからぼうに声をかけるんじゃなかったかなぁ?。やぶ蛇になったかと思い始めたころ、やっと思いついた。

「わかった。ハイチオールCでしょ」
「ん?そうそう、そんな名前だった。店員さん、この人たちが探しているのはハイチオールCの

  ようです」
「あ?、助かった。ありがとうございました」

かくして、彼女たちはめでたく美白効果のある錠剤を手に入れたのだ。もともと色白そうなのに、なぜ、もっと?? しかも、中国とか台湾って、美肌効果のあるものをたくさん売っているのに、日本のものがいいのか?。棚に出ていたハイチオールCを全て購入していった3人組を、感嘆の思いで見つめていた。

ママさんCAが、自分の子供の『かわいい自慢』をするのはしょっちゅうなことだ。そこで飛び出てくる自慢の一つに、「ね、この子、色が白いでしょ」というものがあって、びっくりする。人種的に言えば、東南アジア系だと、日に焼けようが焼けまいが、肌は浅黒いのが普通である。もともと浅黒い肌なのだから白くなりようがない。たとえば、日本人が白人のような白さを求めるのが不可能なように、無いものねだりをしても仕方がない。でも、彼女たちの本音は、やはり白い肌がいいということのようだ。

東南アジア系である彼女たちに比べれば、私の肌は白く見える。「りえ、どうやったらそんなに白くなるのかしら?なんの化粧品を使っているの?やっぱり日本のブランドかしら?」と、ため息まじりに聞かれた暁には、「多分、元々の色が違うので、どんな化粧品を使おうと、それ以上を求めるのは無理でしょう」と思っても、むげには言えない。

白くないことにコンプレックスを抱くのはいかがなものか。白さを追求するのは個人の勝手ではあるのだけれど、なんだか日本人の美白好きは度が過ぎていると思う時がある。夏ともなれば、こぞって日傘をさしている。日焼け止めも白くなるまで塗るし、サングラスに帽子をかぶり、手袋までつけている。そんなに焼けたくなければ、もう家を一歩もでない方がいいのでは?と思ってしまう風体である。そのような日本人の様子は、海外でも話題に上るようだ。ちょっとバカにしているような感じで、外国人は言う。

「りえ、日本人はビーチに来てまで、どうしてあんなに陽射しに対して完全防備をしているんだろう?バカンスに来たのなら、リラックスして多少の日焼けも太陽のまぶしさも、楽しめばいいのに?ビーチで帽子をかぶって日傘をさして歩くのってあんまりかっこうよくないよね」

日焼けのし過ぎというのは良くないと思うけれども、痛くない程度の日焼けなら、目をつぶって旅の醍醐味を味わうことはできないのであろうか。それに、もともと、夏とは焼けるものなのだから。

美白ブームが落ち着いたと思ったら、次にやってきたのはアミノ酸ブームである。フライト毎に、本国人CAの誰かしら、必ず、私にアミノ酸のことを聞いてくる。私はそういうことには疎い方である。その疎い私が気づいてしまうくらいだから、これは相当なものです。どうやらアミノ酸が入った粉?が、薬局かどこかで売っているらしい。やはり美肌に効くということで、本国人CAたちの形相も必死である。知らないと言っているのに、「え?と、緑とピンクの缶で、アミノ酸が入っているのよ。値段は大体これくらい」と、説明してくる。

ある時、薬局に行った折にふと思い出してみれば、店頭にそれらしき物が山積みされていた。これか・・・。思ったより大きな缶である。赤ちゃん用の粉ミルクのようにも見える。一体、これを服用し終えるのはいつなんだろう?前回のハイチオールCも、アミノ酸も、飲み続けてこそ、効果があるようだけれども、これを始めたら一体いつまで続ければいいのかしら?そして、私のまわりのクルーで、それらによって顕著な変化を遂げた者はいるのかしら。

 
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☆ 一時停止 ☆

  「ちゃんと食べてっ!」
  「え?食べているよ」
  「食べてないっ!」

こんな風にけんかをするのは悲しいけれども、友達の話を聞くと、このようなことはしょっちゅうだそうだ。私は、最終手段としてテレビを消すことにした。でも〜と、私は思う。こんなことが頻発するのはおかしいのだ。そう、何をするにも、最初が肝心。今のうちに、もの申しておくことにしましょう。

私の前に座っている彼は、やや不満顔で、恨めしそうに、私が手にしているリモコンを眺めている。さぁ、どうする? 私からリモコンを取り上げる? テレビの本体の電源を入れる?それとも・・・。

テーブルの上で腕を組んだ私は、臨戦態勢に入ったつもりだった。でも、彼は、おとなしく目の前のシチューを食べ始めた。私も相手を威嚇するようなポーズはやめて、パンを食べることにする。少し気まずくなってしまったが、やっぱり、ここで無言というのはよくないのだろう。はっきりさせる必要がある。
  「おいしい?」
  「・・・ん?うん。うまいよ」
  「そのシチューは昨日作ったの。シチューやカレーは一日置いておくとね、味がなじんで作りた

    ての時よりもいい味になるのよ。あなたに、「美味しい」って言ってほしくて、一生懸命

    つくったの。だからね、そのシチューが、テレビを見ながら、ただ胃袋に押し込まれていく

    のを見ているのは不愉快だった。テレビを見ていたのは知っていたよ。急に消してごめ

    んね。まだ見たい?」
  「・・・もういいよ」
  「そう」
  「昨日作ったんだね、このシチュー」
やっと会話が戻ってきた。テレビを消してしまったために、BGMはなしだったけれども、会話がはずめば、そのようなものはいらない。

私だって、普段の食事で、BGMも絶対許さないほど意地の悪い女ではない。むしろ、多少のBGMがあったくらいの方が、雰囲気が和らぐし、会話もはずむことだってある。ただ、BGMはBGM(Back Ground Music)だと思う。絵で言えば、背景部分に相当する。主役ではない。それを引き立てるための脇役であるべきなのだ。だから、テレビはBGMには向いていないと思う。

テレビは情報を流しているので、それを収集するために、どうしても注意力がそちらへ向けられてしまう。おまけに映像までついていて、視線も奪う。聖徳太子のような人間でないかぎり、食事中に、誰かと話をしながら、テレビの情報も仕入れるという荒技はできないだろう。そして、私たちの多くは、非聖徳太子であることは周知の事実。テレビを見ながらの食事は、悲しいかな、テレビの方に軍配が上がる。彼のように、視線はテレビに釘付け、半ば口を開いて、惚けたような顔を食事相手に見せながら、手はスプーンを握ったままの状態で静止してしまう。そんな彼氏の姿をみて、怒らない彼女が世間にいるだろうか?

私の友達にも、やはり映画好きの男の子がいる。あるとき、彼女の手料理を食べながら、ニモに心を奪われてしまった。注意する彼女の声も聞こえず、彼女が食事を終っても、料理が冷めるまでその静止状態を保っていた。それで、「あなたにはもう二度と手料理を作らない」と宣言されてしまった。謝りたおして、数ヶ月後には、料理なるものは作ってもらえるようになった。だけど、彼女は、まだその時のことを忘れていないらしく、得意料理である豚の角煮だけは、いまだに作ってもらえないそうだ。当たり前である。彼女は、私の前で悔し涙を流していた。「ニモに負けた!!」と・・・。

男というのは、得てして、二つのことを同時にすることが苦手だと、『話を聞かない男、地図を読めない女』で読んだ。けれども、そうばかりも言っていられない。ここで紹介した二人の男性が、食事中に放心状態に陥ったからといって、それは、彼らが『男だから』というわけでもないと、機内サービス中に思うようになった。

機内でお食事を配り終えると、今度は片付けをする。食べる速度は、人それぞれなので、多少の時間のズレはある。しかし、いつまでたっても、食べ終わらないお客様もいらっしゃる。そういう方を通りすがりに観察していると、ほとんど例外なく、映画を観ている。そして、食事の手が止まっている。男性だけかと思いきや、機内では、男性はパッパと食事を終える方が多い。多少の例外はあれども、いつまでもお食事トレイ(お盆)を抱えているのは、ほとんどが女性。こっちが温かいうちに食べていただきたいと思って、テキパキとサービスしたお食事が、半分食べたところで、完全に冷めている。亀のように首を突き出し、画面に見入っている。時には、スプーンの上に次の一匙を乗せたまま、かの男性たちと同じように、口を半開きにして、一時停止しているのだ。このような女性がいることを知ったときは衝撃だった。食事はもう要らないのかと思って、声をかけると、「まだ食べます」と言うのだ。けれど、彼女以外はみ〜んな、食後のコーヒーまで終わっている状態なのに・・・。

私の家庭では、食事中にテレビを見ることは禁止されていた。小学校でも、中学校でも禁止だった。私が絶対に正しいとは言わないけれども、テレビを見ながらの食事は、なんだかとっても物悲しい。せっかく、仲間同士で集まり食事をしているのに、全員の視線がテレビに集中していたりすると、そのグループ内の人間関係が上手く言っているか心配になってくる。「こっちの勝手でしょ」と、言われてしまえば、「はい、そうです」と言うしかない。しかしながら、少しでも料理を作ったことがある人なら、分かるのではないだろうか。作り手は、冷めてまずくなった料理を、客人に食べていただきたいとは思っていない。楽しい雰囲気で、「美味しいね」と言い合って、箸を進めていただきたいと思っている。私たち客室乗務員はシェフではないけれども、お客様の食事時の様子は、お客様が思っているよりも見ている。放心状態の顔を見られたくなければ、お食事は温かいうちにお召し上がりあそばせ。それから、誰かの手料理を食べる時には、「テレビは災厄の元」ということをゆめゆめお忘れなく。

 
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☆ 紙コップの中がいっぱい ☆

「さぁ〜て、飲み物配りに行きましょうかね?」
トレイを持って出掛けようとすると、さっき準備したはずの飲み物に、ギャレー担当(Galley機内厨房)のスチュワード君が、オレンジジュースを継ぎ足している。せっかく均等に注いだのに・・・。これでは、彼が全てのペーパーカップを同じだけ満たすまで待たねばならない。「ねぇ、これはもう準備できていたんだけどなぁ〜」と、恨めしそうにつぶやく私に、彼が一言。「足りない!」「え?」

     (注) トレイ(Tray)・・・CAたちが使用するサービス用のお盆

 「は〜い、飲み物の準備できましたよ。

それじゃあ、お客様のところへ持って行きましょうか」

飲み物が並べられているトレイを、張り切って渡す私を制する、またしても本国人CA。
 「なんなの?」
 「ジュースをケチらないでよ!」
 「は?」

言われる私はと〜っても不満。私はジュースをケチっているつもりは全くないのです。私がペーパーカップにジュースを注ぐときは、ジュースの分量が、ちょうど7、8分目。彼らにドリンクサービスの準備をしてもらうと、9分目まで並々注がれたペーパーカップが、ずらっとトレイの上に並ぶ。これを見て、私がまず思うのは、ありがとうでもなく、お疲れさまでもなく、『こぼれる』である。機内というのは揺れるもの。季節にも、ルートにもよりますが、離陸後のドリンクサービスの時って、たいがい大揺れ。9分目までジュースを注いだら、ちょっと飛行機が揺れただけで、トレイの上はもう大変なことになってしまう。お客様がペーパーカップを手に取った時には、こぼれたジュースが滴っていることもざらにあります。

だから、私はいつも、警告のつもりで、「揺れるから、少なめね〜!」と、声をかけるのに、彼らが準備するジュースのトレイには、いつもなみなみと注がれたペーパーカップが整列しているのだ。ジュースだけではない。単品で頼まれた紅茶、コーヒーまでも・・・いや、単品で頼まれた飲み物は、むしろ大目に、9分目どころじゃなくて、もう、溢れんばかりの量を注いで、お客様の元へと持って行く。そのコーヒーは、当然のごとく、お客様の元にたどり着くまでに、ソーサー(Saucer受け皿)の上にこぼれる。運よく、彼または彼女がこぼさなかったとしても、こぼすというバトンがお客様にパスされただけである。しばらくして、様子を見に行くと、案の定、「すみません、こぼしてしまったので何か拭くものをください」と頼まれる。どうして彼らには、『こぼれないようにお客様に飲み物をお届けしたい』という私のささやかな、切なる願いが届かないのか???

いつもは、そんなこと、飛行機を降りたとたんに忘れてしまう。だけど、今日、それを思い出させてくれたのは、女友達の彼である中国系の男の子と3人でお茶をしていた時だった。中国系の彼ってば、いつもとっても優しい。彼女にだけではなく、友達の私に対しても、かなりの親切っぷり。彼女への献身的な態度には、本当に感心してしまう。車での送り迎えは当たり前。ドアを開ける。椅子を引く。そして、ほら、ただの友達の私のティーカップが空になれば、即座にポットから紅茶を注ぎ足してくれる・・・ん?「ちょ〜っと待って!」「ストップ、ストップ」。「おや?」という顔をしたのは、今度は彼の方だった。でも、おやっという顔をしているが、手が止まっていないので、結局カップには、縁のギリギリいっぱいまで紅茶が注がれてしまった。
 「りえ、どうしたの?」
 「どうしたのって・・・あ〜ぁ。カップがもう紅茶でいっぱいだよ」
そうして、手をぷるぷるさせながら、カップを口に持って行く私。一口飲んで、カップの紅茶を7、8分目まで減らしたところで、私はほっと一安心し、そして、彼に話しだす。
 「だって、こんなに注がれたら口に持って行くまでにこぼれちゃうじゃない。なぜあなた達はい  つもこんなにいっぱい注ぐのかしら?」
私が落ち着く分量の紅茶が入ったカップを見つめながら、彼は言う。
 「だって、それじゃあ一杯になっていないじゃないか」

つまりはこういうことらしい。例えば、お店で300円払って、コーヒーを買ったとする。日本人ならば、カップギリギリ注がれたコーヒーを手渡されたら、きっと私のように不平を言うだろう。「火傷するじゃないかとか、こぼれるじゃないか」と。日本のサービスエリアにある、自動販売機から出てくるあの紙コップ入りのコーヒーがよい例である。スターバックスなんかでは、コーヒーをテイクアウトすると、熱い紙コップが持てるように、ボール紙の耐熱カバー(あれ、なんて言うのでしょうね?)をかけて、カップを持たせてくれる。自動販売機ではそれができない。昔はどうだったか覚えていないが、確か、熱くなった紙コップの上の方を、用心して、そろそろ持って歩いていた気がする。それが・・・。しばらくぶりにサービスエリアでコーヒーを買ったら、紙コップのサイズが大きくなっていた。そして、中に入るコーヒーの量は7〜8分目である。これならば、まぁ、見た目はちょっと少ないと感じるかもしれないが、車まで持っていくのに、『あぁ、こぼれてしまう』といったことを気にしないで済む。風を切って(そんな必要もないけれど、要は普通に)歩ける。ドキドキしながら、手の中のカップに気持ちを集中させていると、左右確認しないで駐車場を横断することになるから、事故も発生するわよね?そういう、歩行者の不注意による事故も防げる。すばらしい!と、私は思った。

ところが、これが中国人だった場合にどうなるか。カップに並々とコーヒーが注がれていないと不満なのだ。「コーヒーは300円分、きっちりくださいね」というわけです。300円のコーヒーが一体どれだけなのか分からないが、彼らの基準では、どうやら出されたカップに並々というのが常識らしい。カップが100%満たされて初めて、自分の支払ったお金に対する100%のサービスと感じるのである。カップのコーヒーがこぼれようが、やけどしようが、そんなことは関係ないのだ。そして、そのこぼれたコーヒーを受け止めるために、ソーサーは存在する。300円払って、7分目入りのコーヒーカップを出されたら、そのコーヒーはきっと210円分。『俺の残りの90円は一体どこにいった!?』と、思うことでしょう。

思い返せば、地元っ子が通う屋台などに行くと、コーヒーはいつもカップから溢れ、ソーサーの上にもこぼれている。カップが出てくるたびに、持ち手の部分にまでかかったコーヒーを見て、『あとで手を洗わなければ・・・』と、毎回ため息まじりに眺めていたけれども、あれは、彼らのサービスだったのか!!

中国人の友達と鍋をした時のこと、鍋の終了時に食材がなくなった。普通のことである。私からすれば、買ってきた食材を全て使い切って、さらにみんなお腹いっぱいで夕食を終えて、無駄がなくてたいそうめでたいことである。それなのに・・・会場を提供してくれた中国人の彼女は悲しそうに後で私にこう言った。「ごめんなさい、足りなくて」

中国旅行をした時、「出されたものは最後の米粒一つまで食べきってみせる!」が、信条の私は、もう、ホスト側との戦いで、大変苦しい思いをした。食べきると、次々と皿が出てきて、切りがないのである。「ごめんなさい、もう一杯でお腹に入らないわ」と言う。たいへん申し訳ない気持ちで、円卓に余った美味しそうな料理の数々を眺め、『食べきれなくて申し訳ない』と、私は罪の意識さえ感じていた。しかし、その私をよそ目に、もてなしてくれた中国人一家は、満足そうな顔をしてくれた。大変もったいない話だが、中国では、もてなされた場合、『充分です』という気持ちを表すために、残すのが礼儀なのだそうだ。食べきると、『足りない=お客様はまだお腹が空いていらっしゃる』と、危機を感じたホスト側が、次々と料理を追加しだす。この作法を知らないで、中国でもてなされた暁には、会場はまるで『もったいない』と思う日本人対『まだ足りない』と思う中国人ホスト側との、フードファイトの様相を呈する。

「だからさ、それは、文化の違いだよね、りえ」と、彼は笑いながらまた私のカップに3倍目の紅茶を注ぐ。「ここでは並々注ぐのがいいんだ」と・・・。ゆらゆら揺れる紅茶の水面を眺めながら、これからも私は、こんなゆらゆらの機内でカップにいっぱいのオレンジジュースを運ぶんだろうなぁ・・・と、諦めにも似た思いが沸々と湧いてきたのでした。

 
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☆ タクシーについて ☆

「聞いてくれよ!さっきの客なんだけどさぁ・・・」と話しかけてきた、というか、憤懣やる方ない様子で、暴走し始めたのはタクシーの運転手さんである。暴走・・・と言っても、ハンドルさばきはしっかりしている。ただ、お口の方が、聞き手の私を無視しているだけで、安全運転しているので、後部座席の私は一安心。自分の身の安全が確保されたところで、彼の口角泡を飛ばす勢いの話に耳を傾ける。どうやら、彼は私を乗せる前に、ひどく高慢ちきな女性客を乗せたらしい。どのように高慢だったのかというと、彼にいちいち道を指示してきたのだそうだ。運転手歴うん十年(多分ね)と思われる彼は、もちろん行き先までの最短コースを知っている。それなのに、そのお客は、彼に向かって、細かく道を指示。気を利かせて裏道を通ろうものなら、「道が違う」といい、「だまそうとしているのか?」くらいの勢いで食ってかかってきたそうだ。「お客だってよぉ、いったんタクシーに乗ったら、運転手を信用するのが筋だろうが、え?俺だってだまそうと思って商売やっているわけじゃねぇし、夜、女一人がタクシーに乗っているってんで、警戒してるんならまだしも、今は昼間だよ!?」

確かに・・・その運転手さんの気持ちはわかる。先ほどのお客は、この辺りを何十年も走り続け、道を熟知している彼のプロ意識をいたく傷つけたに違いない。おまけに「回り道をしてぼるつもりか!?」というような嫌疑までかけられては、善良な運転手さんはたまったものではなかったのでしょう。

しかし・・・である。私には、タクシーの運転手さんを怒らせた女性客の気持ちもよく分かる。なぜなら、外国人と見るや、ぼったくる運転手というのは、往々にして、存在するのだ。私だって、この国に引っ越してきた当初、正規の値段の2倍、3倍の料金をふっかけられたのは、一度や二度ではない。日本以外で、タクシーに慣れていない者にとって、タクシーに乗るのはある種の冒険だと思う。道のりを知らない外国人は、タクシードライバーにとって格好のターゲットである。回り道をするくらいはかわいいもので、メーターがあるのにわざと倒さず、口頭で値段を告げてぼったくるタクシー運転手。動いているメーターを無視して、降りる直前になって目玉がぶっ飛びそうな値段を言ってくる運転手(地元っ子からすればびっくりするような値段でも、日本ってもともとタクシー料金が高い国なので、日本人は払ってしまうことが多いようです)。この場合、車は走ったままなので、乗っている方の恐怖が倍増。この国でも、メーターでの清算が基本になっている。ちょっと慣れてくると、この手のドライバーには、「その値段をとるつもりなら、タクシー会社に通報させていただきます」という、抗戦法を使えるようになる。

ときには、はじめに値段交渉が済んでいるはずなのに、走り出したとたんに値段交渉をゼロからスタートさせなければならない場合もある。私の友達には、この交渉がうまくいかなくて、目的地まで半分行きかけたところで運転手が怒りだし、スタート地点に戻り、降ろされた子もいる。喧嘩寸前までいって、「顔だけはやめて・・・」という、ドラマではあるまいし・・・みたいな台詞を言わざるを得なかった子もいる。高速道路の料金所で捨てられた子もいる。2人で乗ったら、1人ずつ正規料金をとられたり、メーターが異常に早くあがって慌てて止めてもらったり・・・。日本では考えられないようなトラブルは、枚挙にいとまがないのです。

トラブルまでいかないが、ビックリ編もある。目的地を告げて、車が走り出したと思ったら「悪いけど、目的地を知らないから、道を教えてね」という運転手。携帯電話で世間話をしだす運転手。メールをする運転手。何故か奥さんを助手席に乗せている運転手。飲み食いしながら運転をする人。お客の許可を得ずに相乗りさせてしまう運転手。急に、ガソリンスタンドに寄り道する運転手。自分が行きたくないという理由での乗車拒否なんて日常茶飯事。ここら辺までになると、「お客様より運転手様」なのである。運転手様はお喋り好きだったりもする。冒頭に登場した運転手様も、あの時は怒りが先に立っていたがために、私が「落ち着いてくださいね〜」となだめる羽目になった。けれども、平常であれば、きっとただの世間話好きな運転手様なのだと思う。

一昨日乗った、タクシーの運転手様はその典型で、私が日本人と分かるやいなや、「日本って・・・」と語りだした。私が話に乗っていくと、ついには、「あぁ、有名な歌があったっけなぁ。なんだっけ??」と言いながら、メロディーを口ずさみ・・・メロディーを・・・ん!?メロディーではなく歌を歌いだした。それはテレサ・テンの中国語版。「あ〜、知ってる知ってる。おじさんよく知っているね〜」と言っていた私も、なんとなくハミング。そして、合唱になり、目的地に着くまでに、もう一曲「スキヤキソング(上を向いて歩こう)」を合唱してしまったのでした。他にも、おもしろ運転手様はいろいろいます。例えば、観光に来た友達は、連れて行ってもらったチャイナタウンでご飯を一緒に食べて、土産まで買ってもらったとかいうお話もある。

車内の汚さについては、アジア諸国は折り紙付きと言えるかも。中には、きれいなタクシーもありますが、きれいだからというだけで、タクシー料金をあげようとする輩が出るくらい。そのくらいアジア諸国のタクシーの車内って汚いんです。いつか、中国でタクシーに乗った時のこと・・・。真冬だったため、白いコートを着ていた私が、タクシーを降り立つと、おや?肩から腰の辺りにかけて真っ黒な帯状の線が!?こんな模様はなかったはず??首をひねって考えた。思い当たったのはただ一つ。助手席に座っていた私はシートベルトを締めていたのです。そのシートベルトが汚れていたために、私の白いコートはクリーニング行き。

まったく、タクシー一つとっても、日本の常識って通用しないなぁ〜、と思います。タクシー運転手に、地名や建物の名前を言うだけで、ほぼ100%の可能性で連れて行ってもらえるのって、私の経験では、日本かイギリスくらい。もちろん、他にも、そういう国があるかもしれない。この2ヶ国では、タクシードライバーのレベルは高いです。レベルも高いが、料金も高い。車内も奇麗ですしね。日本、イギリスでタクシーに乗ることはめったにないけれど、だからこそ、そういう機会があった場合は、短い距離でもタクシーを満喫したいですね。

 
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☆ スチュワーデスさん ☆

「ねぇ、スチュワーデスさんって、いつ見ても奇麗だよね。なんか化粧のこつあるの?」。これは、学生時代の友人の素朴な疑問である。もちろん彼女の言う「スチュワーデスさん」とは、私の事ではなく、一般的な総称としての「スチュワーデスさん」である。彼女は、私がそういう人たちの1人であるらしいと、ぼんやり思っているだけで、私が仕事している姿は見たことがない。話をしている時に、何かの拍子で、私の口から、「これは同期がパリで買ってきた××」「この間、バンコクに行った時・・・」などというフレーズが出ると、『あぁ、この娘はスチュワーデスだったのだな』と思うことはあるのだろうけれども、それ以外、彼女と一緒にいて、『あ、やっぱりEちゃんって、スチュワーデスよね!』と、感じることがあるのかどうかは非常に疑問。そもそもこの質問自体が、私に向けられたものではなく、私の仲間の皆さんに向けられたものなのです。私自身が、世間一般で言う枠にあまり当てはまらないスチュワーデスだということを物語っていてちょっと悲しい。ま、いいんだけど・・・。

「スチュワーデス」と言う呼び名は、今では、客室乗務員とかCA(キャビンアテンダント)とか、FA(フライトアテンダント)とか、いろいろ言い方があるらしいですね。どれでもいいんです私は・・・。ただ、いくら「正しい呼び方はこう!」と、一部の人たちが騒ぎ立てようとも、一般的には、やはり、「スチュワーデス」という呼び名が浸透しているようです。職業を聞かれて、「客室乗務員です」と答えても、大概の人は首を傾げます。「スチュワーデス」となると、ある種の魔法がかかっているようで、私だってその魔法の言葉に魅せられて「絶対スッチーになるんだ〜!!」っと、気合いでなった1人だから、その魔法の効果のほどはよくわかる。事実がどうであろうと、世間には、『スチュワーデス=きれい』という、定理が広く刷り込まれているようで、そういうものの一つが、形となって、友人の口から飛び出てきたのです。

その、きれいなスチュワーデスさんがいかにして作り上げられたか・・・、私は、ふと、考える。スチュワーデスだっていろいろいるのだ。生来の美しさに恵まれて、産まれた時からアイドルのように、姫のようにちやほやされて育ってきた人ももちろんいる。だけど、もはや無数の航空会社が乱立し、スチュワーデスが氾濫しているこの世の中で、全ての人がそんなに美しいわけがない。美人もいればそうでない人もいる。スチュワーデスとは作り上げられている。彼女たちが美しいのは/美しいと他人に思わせることができるのは、やはりご本人たちの努力があってのことでございます。先ほど述べた先天的な美しさに恵まれている人なんて、同業の中でもほんの一握り。私のように、あまり恵まれていない人は、そして、さらに美を追求するという探究心に乏しい人間は、きれいと言われるまでに、数々の罵声を浴びせられて生きている。そういう機会に恵まれているのが、悲しいかな、スチュワーデスさんなのである。

職業を意識してかどうかは知らないけれども、いろんな方からのご忠告が雨霰と降ってくる。時には、それはありがたいものであり、そして多くの場合かなり痛いものだったりする。「口紅、歯についているよ」「顔、粉吹いて粉ふきイモみたいになっているよ」というのはかわいい方で、時には、飛行機に乗ったとたんに、鏡の前に立ち、グロスを塗り始めたゲイ系のクルーから、「あなた、もっと外見に気を遣いなさいよっ。爪は、マニキュア塗らなくてもいいけど、それならきれいに磨いてくるべきなのよっ。あたしみたいに・・・」。そう言って、手を差し出す彼の爪は、確かに光輝いていて美しい形をしている。ある時、私の横に立った、これはゲイ系ではない男性クルーが、まじまじ私の顔を眺めている。何かと思ったら、「君、毛深いんだなぁ、樅上げ、長くない?」と、彼は宣うのだった。

仕事場以外でもそういうご指摘はいろいろ受ける。私のような粗忽者は、彼氏の前でした失態も数多い。「ジーパンのチャック空いている」。以来、私はどんなに急いでいても、トイレから出る時は、ドアの前で立ち止まってズボンのジッパーのチェックを欠かさない。「顔、剃らないの?まぁ、俺もヒゲ剃らないからいいけど・・・」。もちろん、私はすぐに顔を剃った。「その服とその靴、合ってないよ」。等身大鏡を購入した。髪が乱れている。手がガサガサ。マニキュアが禿げている。鼻毛が出ている。ニキビができている。お腹が出ている。

どうして、私たちの周りには、他人の外見に口を出す輩がこうも多いのかと、悩むところであるけれども、向こう様が気になさるのなら仕方がない。私のためを思って言ってくれていると思って、ここは一つ、女を磨くために、ファッション雑誌も読みましょう、髪のチェックだって、合わせ鏡をして後ろまでするし、ハンドクリームも頻繁に塗る。鼻毛のチェックもするし、お腹も出過ぎないように気をつけるわ!

と、いうわけで、皆様からいただいたありがたいアドバイスを、真摯な気持ちで受け止める私達って、意外に(?)苦労人なのです。こんなご指摘を受けながら、十人並みな人も、いろいろ気をつけるようになって、ちょっとずつきれいになっていくのですね。この仕事についてから、いわゆる「誰もが認めるきれいなクルー」を見かけると、『この人が今まで受けた「痛い忠告」っていかほどのものだったろう・・・』と、彼女が今に至までにした悔しい思いの数々につい、思いを馳せてしまう私であります。

 
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☆ 南の海で

この間、私は、有給を使ってダイビングのライセンスをとりに、南の島に行って来ました。島にいたダイビングのインストラクターさん達がとても優しくて、ひとりで行っても、寂しい思いはしませんでした。よい思い出もらって感動したので、さっそく島で撮った写真を焼き増しして郵送した次第です。ダイビングはやってみると分かりますが、非日常の、ちょっと恐ろしい環境(←酸素ボンベなしには生きられない、期限付きの命・・・みたいな危機感がある。ウルトラマンよりは長く水の中にいられますが・・・)に置かれますよね?私みたいな臆病者には、心拍数がかなり高まる状況なわけです。それで、心拍数高まったところでドキドキして、インストラクターがかっこよく(ないんだけどね)見えたりします。特に、私みたいな1人者には堪(こた)えます。これは私だけじゃなくって一般論でしょう。多分。だって私の友達も、インストラクターがかっこよく見えてしょうがないって言っていますから。いつ我に返るかは、その人次第なのですけどね。それに、そういう危機的状況にあって、インストラクターって的確に指示出してくれるじゃない?喋れないから、至近距離のアイコンタクトで、さらに手をとって教えてくれたりするわけ。気長な人が多いらしくて、間違えても絶対怒らないしねぇ。普段怒られ慣れている私たちにはこれは大きいです。

そういうわけで、正直に言いますが、島に行ってインストラクターに軽い恋心を抱いた私は、ありがとうの気持ちを込めて島で撮った写真を焼き増して送ったわけですが、それで失敗をしてしまいました。断っておきますが、何にもしてないし、言っていません。問題は写真の中の登場人物。私と、インストラクター3人。しかし、実際、島にいたインストラクターは4人だった。1人は私のインストラクター。残りは、陸の上で、水の中で、多少語り合って友達になった人たち。2人は男。残り1人は女性なのだけれども、彼女はインストラクターの中で最も多忙を極めていた人で、一緒に写真を撮る間がなかった。男どもは問題なし。しかし・・・そうです。後々の、インストラクターである彼女(私の世話をしてくれた男のインストラクターじゃなくってね)とのメールのやりとりで気づいたんですが、私のインストラクターのRと、彼女Pは、多分付き合っているんですよね。島では自分がサバイバルすることに一生懸命でちっとも気づきませんでした。女の子はインストラクターで、水中生物にも詳しくて、何ヶ国語を自在に操る、非常に聡明な方なんです。でも、ハッキリ言っておデブちゃんで男勝り。そしてRはウルトラ細身なのです。仕事だからでしょうが、そんなそぶりをちっとも見せなくて、私、すっかり騙された気分です。それにしても、私の写真の中に彼女はいない。されど、インストラクターRとのツーショットにハートマークまでつけて送った私・・・。彼女が、彼氏であるRと、写真が入った封筒を切る日のことを考えると、ちょっと恐ろしい。

え?もちろん私の熱病(軽い恋心)はもう冷めました。Rは確かにかっこいいけど、ああいう人は海でこそ輝ける人なんですよね。いつまでも島にいてください。というわけで、簡単に島に行って来た報告でした。

 
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☆ 救難訓練 ☆

長かった。みなさん、ご存知かと思いますが、客室乗務員は一年に一回のセイフティーに関するテストがあります。なかなか、どうして、これがなんだか気が重い。試験に落ちたら飛べないし、なにか、こぅ、自分の無知を避難されているようで(って、実際そうなんだろうけど)。この日に何をするかというと、安全面の確認・・・、と、いうことで、緊急事態の対処の仕方を学んだり、救急救命についての復習をしたり・・・まぁ、そんなことをする。いきなりテストを受けるわけではなくて、モックアップを使ったり、実際に消火器、ライフジャケットを使ったりの実技なんかも行うため、私の勤めている航空会社では最短で二日間の訓練が催される。ご存知の通り、緊急事態発生なんてそんなにちょくちょくあるものではありません。当たる人は当たるらしいけれども、私はそういう意味では当たらない方。当たる人は、酸素ボンベをまるで掃除機か何かを組み立てるようにテキパキと組み立て、いかにも扱い慣れている様子。でも私のように当たらない人は、年に一回のこの訓練でしか酸素ボンベは触らない。・・・と、いうわけで、正しい使い方を常に頭に叩き込んでおくために、この2日間は重要なんですね。

しかし・・・この訓練、いつもなら知り合いが何人か終わってから、私の番がやってくるのに、今年は、なぜか私が一番手。些細なことだけど、これだけでも、小心な私の不安は増大。そんなテスト、いずれ受けなきゃ行けないんなら早かろうが遅かろうが関係なかろう!!と思ったら、大間違い。だって、自分よりも早く終わった人がいたら、どんな具合で2日間が過ぎて行くのか(実は、その日の授業の終了時間は、当たるインストラクター次第だったりもするんだけど)教えてもらえるし、テストの問題だって教えてもらえる。

もちろん、あの推定5cmはあるかと思われる分厚いマニュアルを読んで勉強もするんだけれども、勉強するには、あてずっぽうに隅から隅まで読むよりは、何か基準になるものがあった方がやりやすいんです。例えば、「緊急時に開けるドア」についての質問があるとしたら、まずそれが海の上なのか地上なのかで違うし、機体によって違うし、当然の如く、自分が機体のどの辺りのドアにいるかによって違ってくる。一つお題を与えてもらえれば、連想ゲーム式に、「あれはどうだったかな?これはどうだったかな?」と、いう具合にあっちこっちページをめくって、予想問題なるものをこなしていくうちに、あら不思議、こんなにたっぷりな厚さのマニュアルをなんとなくカバーしているの。

というわけで、いろいろ言いましたが、セイフティーの訓練にあてられたこの2日間の年間行事を始める前に、私のストレスは既に絶頂にあったんです。ストレスが頂点に達した人間の判断力は鈍るもの。そう、私は、訓練を前にしてばかなことを一つした。それは訓練施設の近くにあるホテルに泊まるということ。このホテル、ご飯はまずいし、サービスもいまいちだし、訓練所に近いという以外になんらよいことがないという評判。しかし、実際泊まってみなければ分からない。よい悪いは、基本的には個人の判断に寄るものだもの。そういうわけで、『何事も体験あるのみ』、が信条の私はそこに一晩、セイフティーの勉強をするための時間稼ぎをする、という大目標のために宿泊することを決めました。それが私のした大失敗。今思うと、なぜそんな暴挙に踏み切ったのか、自分のことながら、全くの謎。ストレスにより脳の回路がいくつか切断されて、不能になっていたとしか思えない決断だった。

もともと、そんなアイデアなぞ念頭になかった私が、なぜそんなことをするに至ったかというと、きっかけはやはりフライト中。すでにセイフティーの訓練を終えて、隣に座っていたベテランクルーがこんなことをいい始めた。

「そうよね。やっぱり訓練って気が重いわよね。そうそう、でもね、私にはそんな時のとっておきの必殺技があるのよ。あなた、訓練所の近くの、ホテルに泊まりなさい。知っているでしょ?××ホテル。そうしなさいよ。私は毎年そうするわよ。だって、ほら、考えてもみて。アナタ、どこに住んでらっしゃるの?え?あんな遠いところに?それじゃ交通費もばかにならないでしょ?おまけに訓練所って離れた所にあるから、アクセス悪いし、タクシーもつかまえにくいのよね。だからよ、そういう人にこそ、あそこに泊まるのがおすすめなわけ。それにね、私って、家じゃあ勉強する気になれないのよ。まぁ、ご飯さえ我慢すれば、あそこはそりゃあ快適よ。なんてったって、あのロケーション。訓練所が徒歩圏内。勉強して、朝寝坊ができるわよ。勉強しなきゃいけないストレスで頭がいっぱいだっていうのに、なんだって移動時間や移動方法まで気にしなきゃいけないわけ?休憩時間が長ければ自分の部屋に戻って静かに勉強するもよし、休むもよし。たまに、ほら、図々しいのがいるのよね。『朝早く来すぎたから、悪いけど、アナタの部屋で勉強させてくれない?』って。え?そんなのお断りよ。なんのために、お金を払って部屋を借りていると思うのよ?静かに快適に勉強したいと思ったら、自分も部屋を借りればいいのよ。落ち着いて勉強できて、テストに受かると思ったら一泊分なんて安いもんよ」と、ストレスで回路の接続が不能になった頭にがんがん響く声で、息もつかずまくしたてる彼女は、なんと上沼恵美子さんのそっくりさん。お国は違っても、お人柄って、外見に似るんでしょうか?ねぇ、ちょっと想像してみてよ。天下の上沼恵美子が私の耳元で、訓練所に泊まれ泊まれと力説している。そして、それが、私がテストに合格する唯一の方法だと説いている。私はテストを目の前にして藁にもすがる思いだったのよ?これに飛びつかずしてどうする!?

私が正気に戻ったのは、残念ながら、試験が終わった後ではなくて、噂のホテルの部屋に入った瞬間だった。しまったー!!と思った時には、時すでに遅し。訓練中だというのに、友達に、『やっぱり自分の部屋に帰りたい』などと、初めてお泊まりをした子供のようなメールを送った。1人で住み慣れないところにいると落ち着けないし、なんだかとっても不安な気持ち。あそこの壁のシミも、こっちの壁のひび割れも、私に意地悪している感じ。本気で部屋に帰ろうかとも思ったけれど、ここで帰っては女がすたる!!自分を励まし、騙し、訓練所に近すぎて、結局、訓練気分が抜けないまま不安な一夜を過ごした私は、ちょっと心身虚弱状態のまま、2日目の訓練に参加しました。試験の方はなんとか無事にテストに合格し、向こう1年のフライトを許される身となりました。めでたし、めでたし。この訓練が終わるとフライトが恋しくてたまらない。客室乗務員たるもの、やっぱり空を飛ばなくちゃね。今から次のフライトが楽しみです。

 
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